« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月

2014年11月30日 (日)

第225号 アティトゥラン湖の水位

 何回かこのブログでも書いたが、ここ数年アティトゥランこの水位は上がり続けている。昔は砂場があり、その砂場を歩いて船着場まで行ったものだが、今では砂場はその痕跡もない。陸地が目に見えて水に覆われていく。侵食されてたくさんの木々が倒れている。去年まではまだ営業していたレストランの一階部分は床上浸水で廃墟になっている。一体どこまで水位は上がって行くのだろう。

 船で近辺の村を訪れると、水面下で屋根だけが見える家があちこちに見える。僕がいつも買い物をしていたサン・ファンの船着場近くの店も、今年は水の中だった。一体今はどこで何をしているのやら。

 付近で客待ちをしていたガイドの話によると、5年前と比べて水位は20メートル上昇したという。20メートルといえば年あたり4メートルの計算になる。その数字が正確かどうかはわからないが、とにかく、それほどの勢いで水面が上がり続けているということだ。

 知り合いの女性が、おじいさんから聞いたという話によると、今から60年程前には、水位は今よりもさらに10メートルくらいは高く、今の船着場はもちろんのこと、その上方の土産物屋やレストランなどのある場所は全部水の下だったということだ。だんだん昔に戻っているだけよ、自然のなすことはどうしようも無い、とその女性の口ぶりは素っ気ない。しかし、これまでそこで生計を立てていた人達はどうなったのだろう。これからどうなっていくのだろう。他人事ながら、とても心配だ。

 それに、何故それ程までに水位が上がり下がりするのかも知りたい。と同時に、古老の語る過去や言い伝えを知り学ぶことの大切さを思う。

Cimg1784
     写真は、昨年まではまだ営業していたレストランの一階部分。


2014年11月23日 (日)

第224号 ベルタ

 彼女の誕生日だと聞いて、ケーキを持って彼女の店を尋ねた。思いがけない?プレゼントにえらく喜んでくれた。彼女の名はベルタ。

 もう4年か5年前になるだろうか。ずらりと並んだ土産物屋の中の一つの店の女性が声を掛けて来た。それがベルタだった。内容は忘れたが、店への呼び込みでなかったことだけは覚えている。店の中へ入り、しばらく話をしたが、物を買えという話は一切ない。これは珍しいことだ。ここらでは、店に入ると、これはどうだ、あれはどうだ、何を探している?色は?サイズは?とたたみかけてくる。ともかく煩わしいことが多いのだが、彼女は一切そんな話をしないのだ。いくらか日本の話をし、日本語をいくらか教えた記憶がある。

 それがきっかけでよくその店に行くようになった。2時間も3時間も座っていることもある。店の奥に座っていると、この店に置く品物を卸すためにいろいろな人がやってくる。ほとんどは馴染みの人なのだが、この店の主人のベルタは彼・彼女たちのことをパートナー?とよんでいる。売り手と買い手というよりパートナーだというのだ。そんな言葉の一つにも彼女の性格がうかがえる。彼女によると、ウイピルなどを持って売りに来るパートナーたちは貧しい人が殆どだ。なんとか彼女たちの力になれればといいなと思っているということだ。

 自分だけでなくこの店に品物を卸しに来てくれる人たちの幸せも願う彼女の人柄にほだされて、ここで買える品物はここで買うようにしている。ただ、難点は、この店はウイピルなどの古い織物が中心の店で、僕にとって魅力のある製品が少ないことだ。

 今年は、帰る前に僕のベストに小鳥の刺繍を記念にと入れてくれた。彼女の生まれ育ったサンティアゴ・アティトゥランという村の民族衣装に施される模様の一部だ。

Cimg2054

2014年11月16日 (日)

第223号

Cimg1867

サン・ファンで織物の民芸品屋さんを探して歩いていると小学校らしきものに出くわした。何か行事をしているようだ。子供達の親や家族と思わしき人たちもいっぱい見学している。路傍の石に腰をかけ僕もしばし見入る。どうも、自分たちの日常生活を題材にした劇のようだ。

 

 たまたまであるが、このような学校行事に場所は違うが過去3回ほど行き合わせた。いずれも、トルティージャを作ったり、織物をしたり畑仕事をしたりという自分やその家族ないしはその地域の日常を題材にしていた。

 

 この地域の男性、とりわけ若い男性や子供達が普段民族衣装をまとっているのを見るのは珍しい。しかし、このような劇の中では男性も皆民族衣装をまとっている。時代とともに廃れゆく自分たちの日常文化を何とか残していきたい、大切にしていきたいという願いを僕は感じるのだが、勝手な思い込みだろうか。

 

 通りすがりの見知らぬ人が学校行事に潜り込み、写真を撮るという行為は今の日本ではできない。学校の門自体に鍵がかけられ進入できないほど、日本の社会は荒れている。社会全体の荒れはともかく、学校に武器を持った人が侵入して問題を起こすなどはグアテマラではまだ想定外のことかもしれぬと、塀も何もない場所での行事を見ながら考えた。

2014年11月 9日 (日)

第222号 軍隊への就職

イシルの知人の弟が軍隊に入った。高校を卒業し仕事を探していたが見つからず、食うために仕方なく軍隊を選んだのだそうだ。それを教えてくれた知人の表情は暗かった。

 彼の話によると、彼の父は内線時代に軍隊との関係でかなり嫌な思い出があるらしく、今でも軍隊には強い拒否感がある。その父の息子が軍隊に入ったのだから穏やかでない。父だけでなく、知人の口ぶりからも弟の軍隊入りが家族中で歓迎されていないことはうかがえる。

 知人の妹の夫が昔軍隊にいたのを僕は知っていたのでそのことについて聞いてみた。その時は、彼の意思ではなく、徴兵されたのだそうだ。徴兵はいたしかたなかったとしても、自分の意志で軍隊に入った弟への無念さがみて取れた。

 生活はしていかねばならない。されど仕事は無い。収入も無い。そんな時の就職先として魅力的に見える軍隊。この構図はどこの国でも同じなのだろう。そこに行くのはいつも貧乏人の子供達であることも。

 軍隊以外にこの国にはもう一つの魅力的?な選択肢がある。それは、アメリカへの密入国だ。

2014年11月 2日 (日)

第221号

Cimg1883

田舎に行くと、屋根の上も草の上も木の枝の上もあらゆるところに洗濯物が広がっている。あらゆるところが物干し場だ。草の上に干したら草の色がつくのではないかとか草に付いている埃で洗濯物が汚れるのではないかとかいうような考えとは無縁であるように見える。写真は屋根の上に広がる洗濯物だが、どう見てもこの屋根が綺麗であるとは思えない。屋根の汚れや付着物で洗った洗濯物に埃や砂が付いたとしてもそんなことは問題外なのだろう。

そもそも洗濯とは何のためにするのか、という初源の問いに立ち返らせてくれそうな風景であろう。とは、ま、ちょっと、いやだいぶ大袈裟・・・。

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

無料ブログはココログ
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31