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2014年2月

2014年2月23日 (日)

第186号 日本人はケチ?

日本人はケチだという話を何人かからの売り手に聞いた。ひどく値切って値切り倒すからそういうのかと思ったらそうではないらしい。

 最初に値段を聞くだけで買わずに去る人が多いというのである。ある人が商品を眺めていて、値段を聞いてきたら、ある程度買う意思があるのだと売り手は考える。少しでも高く売りたい売り手は、多くの場合、最初かなり高めにいう。そしてその値段で売れれば万々歳なのだが、そう上手くはいかない。そこで値段交渉が始まる。

 だが、日本人の多くは交渉の始まる前に去ってしまうというのである。結局何も買わないから、それが彼らにはケチと映るらしい。 

値段が明示された店は皆無ではないが、ほとんどない。値段は交渉で決めるものだと彼らは思っている。それはいいのだが、問題は最初に提示される値段だ。どうせ値切られるのだからと、値切られるのを前提に最初からかなり高い値段をいう店がある。グアテマラよりかなり物価の高い日本で買うとしても、そんなに高くはないよな、と思わせる品もある。そんな値段を聞いた途端、交渉にはいる前に、こんなにふっかける店では買えない、こんな店は信用できないと店から出て行く日本人は多いに違いない。最初から法外と思えるほどの値段をつける店は信用できないと思う人たちの気持ちは僕には理解できる。しかし、売る方からみれば、最初の値段を提示しただけで、交渉は何もしていないのになぜ、この人は黙って去って行くのだろうと不思議がる。 

 そして、その客は何も買わないケチなやつだということになるのである。そうらしい。 

しかし、店先で様子を見ていたら、そのような客はいくらでもいる。なぜ日本人だけがケチと呼ばれるんだろう?それは、まだまだ日本人は金持ちと思われているからかもしれない。金をたくさん持っているはずなのに買わない。ケチであるという構図だ。近い将来、きっとグアテマラ人も日本が金持ちだなんて思わなくなる日が来るに違いない。そのときは、日本人はケチという言葉も聞かれなくなるだろうか。

2014年2月16日 (日)

第185号 崖崩れ

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パナハチェルとソロラをつなぐ幹線道路のがけ崩れ跡の写真だ。現在はもちろんかなり安定しているのだが、それでも小さな土の塊や小石は時々落ちている。ここを通り、上を見上げるたびに正直怖い。早く通り過ぎてくれと願う。雨季になり大雨が降ったり、ハリケーンが来るたびに問題が起こり、パナハチェルの町は孤立するということだ。

あの地に住む人にとっては大問題で、「早く何とかしてくれー、と皆思っているのだが、なかなか根本解決に向けて行政は動いてくれない。崖崩れがあるたびに町の人間が出て土砂の排除をするんだ」と土産物屋のおばちゃんがこぼしていた。

 町の住民にとっては大問題なのだが、非常に冷たく言えば、旅行者である僕にとっては、危ない時期を外していけばいいだけのことだ、と思いたい。しかし、事はそう簡単ではない。がけ崩れや山崩れはこの地に限ったことではないのだ。山を大きく切り抜いて作られたグアテマラ山地の道は、山肌を切り取った後の処置がきちんとされていないことが多く、あちこちで山肌がむき出しのままで危険極まりない。道の半分が山からの土で埋まっていたり、道の真ん中に大きな岩が転がっているという場面にも何回か出くわした。

 なんせ危険地域が多いだけに全ての場所の改善には莫大な金がかかるだろうし、技術的にも難しいこともあるのだろうが、一日も早く何とかしてほしいというのが本音だ。

下の写真は、以前にもこのブログで使用したことのあるイシルへ向かう幹線道路崩落後の現場。2013年のものだ。何か月も通行不能だったという。知人が送ってきてくれたもので、崩落後かなり時間がたってからのものと思われるが、規模の大きさは十分に想像できる。

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2014年2月 9日 (日)

第184号 日本人は強くなった?

中米だけに限ったことではないが、外国では公衆便所なるものはないのが一般的だ。もしあったとしても有料である。お祭りの日など、トイレの前には長い列ができる。順番がくるまで我慢をするのも大変だ。入り口で幾許かの金を払うと、クルクルとトイレットペーパーをくるめてちぎって渡してくれる。紙が足りないと思っても余分にはくれない。

 公衆便所が近くにない場合は、皆どうしているんだろう? 僕自身は、1)宿を出る前には、行きたくても行きたくなくても必ずようを済ませておく。2)どうしても行きたくなったら喫茶店やレストランに入る。3)マクドナルドなど人の出入りの多い店に客で来たような顔をしてトイレだけ借りる。という方法でなんとか切り抜けている。しかし、なんとか帰りつくまでは我慢できるだろうと帰りはじめたが途中でなんとも我慢できなくなるということもあり、トイレというものは案外厄介なものの一つだ。その他切羽詰まった時は、4)人の目など気にせずどこででもしてしまう。という方法もあるが、これはまだ実行していない。なかなか度胸がいる。

 ちなみに、南米のある国で、どうしても我慢できなくなり、祭りの日の夜に人通りの多い道の隅でうんこをしてしまったという20代前半の見目麗しき日本人女性にアンティグアで出会った。通行人が、ここはトイレと違うからよそに行ってしなさいと言ってくれたが、間に合わなかったというのである。「我慢できなかったんだもの、しょうがないよねー。でも私がそのことを言うと、皆、そんなことは他人にしゃべるなっていうのよ、あっはは!」と彼女は明るかった。仕方ないとはいえ何とも強者である。なかなか真似は出来ない。「おそれいりました、ははっ!」と降参だ。

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これでも有料だから最初はかなり抵抗がある。

2014年2月 2日 (日)

第183号 木綿糸紡ぎ 人か機械か

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サン・ファンのある店の中で草木染めのデモンストレーションをしていた。その横で一人の女性が木綿糸を紡いでいる。鮮やかな手つきで綿の塊が糸になっていく。最近はこの村で木綿の生産量増えているらしい。紡ぎ手はだんだんいなくなっていると以前聞いたが現在はどうなんだろう。手でよった糸と買ってきた機械紡ぎの糸を比べてみた。手作りの方が少し厚みは残るが、フワッと柔らかくて優しい感じがする。力を入れて切ろうとすると、機械作りはプチっと切れるが、手作りはずる―と糸を引いてなかなか切れない。手で紡いだ糸の方はさぞ高価なのだろうなと思って値段を尋ねた。作業している女性の話だと、僕の予想に反して、買ってきた機械作りの糸の方が値段は高いのだそうだ。機械作りの糸を使った方が製品の値段も高いということだ。

うーん、手紡ぎのほうが安いなんてどうも解せない。綿を栽培し一生けん命紡いでも売値が安いとなれば、糸紡ぎの技術の担い手は減っていくばかりだろう。

下の写真の左が手で紡いだ糸である。

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