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2012年11月

2012年11月25日 (日)

第124号 コデアルテコの織物のできるまで

織物についての知識のある人には何の目新しいこともない当たり前のことなのかもしれませんが、織物に興味もなかった私にとってはなかなか興味あることばかりでした。

1)     コデアルテコのまとめ役であり唯一の男性であるペドロが、糸を買いに行きます。行き先は、キチェ県の県都であるサンタ・クルス・デル・キチェ又はグアテマラ第二の大都市?シェラ(ケツァルテナンゴ)です。片道2時間から4時間かかります。 

2)     織り手たち各個人に配布します

  

3)     糸をほぐし巻きつけやすく整えます

4)     糸巻き機にまきとった後、ボール状に巻き玉を作ります 

5)     経糸をとるための巻きつけをします 

6)     トウモロコシの煮汁につけ乾かします。この課程はイシル地方独特なものだと聞きました。糸の強度が高まるということです。しかし不思議なことに、煮汁につけるのは経糸だけということです。

7)     経糸をとります 

8)     やっと、いわゆる織物開始 複雑な模様もすべて体が覚えていて、作業はどんどん進みます。

こちらは模様なし 模様が入った場合

9)     出来上がり。複雑なウイピルもこのような過程を経て作られます

2012年11月18日 (日)

第123号 弾圧の爪痕 アクトゥンバル(ラ・ピスタ)の場合

アクトゥンバルは、ネバフの北に位置する人口2000人ほどの、平凡な村だ。先週書いたアクルより地図で見るとかなり遠いのだが、約半分の歩行時間で到着した。

他には特筆すべき特徴もないこの地が有名なのは、ここに約1000メートルもの滑走路があるからだ。アクトゥンバルは現地での村の呼称で、地図にはラ・ピスタと書かれている。ラ・ピスタとはスペイン語で滑走路を意味する。

この滑走路以外何の特徴もないこの村の歴史もまた悲しい。先回登場した、ネバフの若き観光ガイドの話によるとこうだ。「70年代、軍がやって来てこの地に住んでいた全家庭を戸別訪問し、ゲリラについての尋問を行った。ゲリラに少しでも関係ありそうと見られた人は殺された。残った人たちも、いつ殺されるかわからないと思いほとんどは山に逃げた。メキシコまで逃げた人もいる。山々の木々は焼かれ、主食であるトウモロコシを栽培するとすぐ見つかるため、人々は草木を食べて飢えをしのいだ。逃げなかった人々は、ネバフ周辺に強制移住させられ、軍に協力するよう強要された。その後村は焼き払われ、無人の場所となり、やがて滑走路と付随施設が建設された。目的は、もちろんゲリラ撲滅のための軍人や物資を運ぶためである」

先回のアクルと違う点は、村を焼き払った後滑走路を建築したが、住民の囲い込みはしなかったことだ。人々が再びこの地に帰り始めたのは戦後であったらしい。飛行機は飛んでいないが、今も滑走路が草ぼうぼうでないのは、誰かがいまだに整備をしているからなのだろう。

先日グアテマラで大地震があった。イシル地方はあまり被害はなかったと思われるが、今後この飛行場が、自然災害などの際の物資運搬基地として機能してくれるよう願う。それがせめてもの罪滅ぼしだ。

2012年11月11日 (日)

第122号 弾圧の爪痕 開拓村という名の収容所・アクル

ネバフの北西の方向?に町を一望できる展望所がある。そこを目指して、老体に鞭打ち歩いた。途中薪を背負った何人なの人々に出会ったが、ほとんど人通りのない山道だ。約1時間ほどで目的地に着いた。噂にたがわず、そこからの眺めはのどかで美しい。

少し体力に余裕があったので、この山を越えたらどうなるのだろうと歩いてみた。約15分で峠に着き、そこから約1時間下ると村に着いた。バス停のある中心部には、ここらとしては不自然に家が密集しており、大きな道路が村の真ん中を走っている。こんな田舎に何故大きな道路があるのかいかにも不釣り合いで不思議な光景だった。腹が減ったので、雑貨屋に入り村の名前を聞いた。アクルという名だった。ぶらぶら歩いていると、大きな牧場に行きついた。たくさんの牛が草を食み、犬が吠えながら走り回っている。同じ道を歩いて引き返す元気はなく、帰りはバスを利用した。

 帰って、ネバフのガイドをしている青年にアクルについて聞いてみた。アクルは現在人口約700人で、1970年代の後半だったか80年代の前半だったかに、それまでの家々が軍によってすべて焼き払われ、その後に住民の囲い込みのために新たに作られた村だという。当時、昼間は家を離れ野良仕事が許されたが、夜間は外出禁止で、夕方になっても家に帰っていないものは射殺の対象とされたということだ。どうりで管理しやすいように家が密集していたのだ。村の真ん中を走る大きな道路は、必要時には、ゲリラ攻撃の基地として飛行機が離着陸できるようにと作られたらしい。広いわけだ。

 この村は、polo de desarrolloと言われている村の一つだ。適当な訳語が見つからないから僕は「開拓村」と名付けているが、現実は開拓村とは程遠い。

 尚、現在この地はチーズで有名である。大きな牧場は、そのチーズ工場の一角だったらしい。経営は、ヨーロッパ人だ。

2012年11月 4日 (日)

第121号 大木と戦争


大木はそれを見ているだけで心が落ち着き同時に厳粛な気持ちになる。あたりを圧倒する力がある。大木が林立する深山であればなおさらいい。

内戦中にゲリラの住み処(隠れ家)をなくすという目的で、イシル地方の木は切られ山は焼かれたという。そのせいで、今もイシル地方には大木はないと聞いた。そう言えば大木をイシルで見たことはない。写真は皆イシル以外の地、暑い地方のものである。

 木とは関係ないが、イシル地方にある湖や池には、ゲリラの食料となる魚がいるということで、爆弾や毒が投げ込まれた。そのせいで、今も魚はいないという話も聞いた。

 山が焼かれようと魚も住めない湖になろうと、よそ者の軍兵士には影響はなかったかもしれないが、困ったのはゲリラだけでなく地元に住む人全員だ。


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