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2012年9月

2012年9月30日 (日)

第116号 光と影と明るさと

 グアテマラで夕食のためにレストランに入るとする。ちょっとした店には、テーブルのまん中にはロウソクがともっていて雰囲気はとてもいいのだが、店の中は薄暗いのが一般的だ。目の悪い僕には、もし眼鏡を忘れれば、手渡されたメニューも読めない。

 だが、本を読む目的でレストランにいったのならいざ知らず、食事を楽しみ、静かに語らいあうためにはそのくらいの明るさで十分である。天井や壁にともる小さな明かりとロウソクの光のかもし出す陰影がいい。光だけがあって影の無い、隅からすみまで照らし出すような照明には雰囲気も何もあったもんじゃない。

 レストランに限らず、ホテルの部屋でも各種の店でも、教会でも郵便局でも、全般的に暗い。もちろんグアテマラに関しては、電気事情もあるのだろうが、単に電気事情の問題として片付けるのではなく、明るさや光と影ということをもう一度見直したいものだ。

節電が叫ばれる今のご時世にあっても、とにかく、日本は明るすぎる。通りも店も明るすぎる。自動販売機の前でも本が読める。何故あれ程煌々と明かりを照らさないといけないのかと不思議に思う。電気代だってばかにならないはずだ。

 

尚、ロウソクのあるのはこじゃれたレストランの話で、イシル地方にはロウソクのある店はネバフに一つか二つあるのみで、コツァルにもチャフルにもない。


この写真は前にも載せた。イシル地方一のこじゃれた店?だ。

2012年9月27日 (木)

番外編  悪者?にされたグアテマラ

916日日曜日の夜、体内から異様なものが排出された。気味が悪くてちょっと身を引いた。体長は約25センチ、太さは約3ミリのミミズみたいな生き物だ。小さい時の記憶から、恐らく回虫だろうと目星をつけネットで調べた。ネットの記事を読み写真を見て回虫だと確信した。現物をビニールに詰め、写真も撮った。まだほかの個体が体内にいるかもしれぬ。卵があるかもしれない。すぐ病院に行って駆虫薬をもらいたかったが、あいにく日曜日の夜だ。悪いことに翌17日も敬老の日で病院は休みである。

住んでいる町の休日当番医を探し、翌日はやめに訪問し見てもらった。すぐ回虫だと判断して薬を処方してくれるものだと思っていたが、以外にも、こんな虫は見たことが無いから回虫だと確定できない、従って薬も処方するわけにはいかないという返事が返ってきた。たったそれだけの話で終わったのだが、しっかりと診察料初診料で1500円ほどは取られた。

帰るとすぐ、保健所に事の次第を説明するメールをし、そこで見てもらえるかどうかを問い合わせをした。火曜日には返事が来るだろうと期待したが、返事はかえってこなかった。

どこに行ったらいいのかわからぬまま、かかりつけの医師に見てもらった。そこでもやっぱりわからなかったが、ここの医師はあちこちに連絡して問い合わせてくれた。結局行きついたのは、高知大学医学部の寄生虫教室?である。そこに行きつくまでに約3時間かかってしまった。

袋に入れたまま3日間も経過してしまった現物と写真を持って大学を訪ねた。先生は、現物を見る前に写真を見ただけで、「ああこれは回虫の成虫でメスですね」と明言された。やっぱりプロである。

 

回虫は僕の子ども時代には、ごく普通の誰もが体内に保持している可能性のある寄生虫だった。僕自身も何回か駆虫薬を飲んだ記憶がある。そんな過去の経験から、病院に行けば簡単に見分けられるものだとばかり思っていた。しかし、今や時代は変わっている。日本にはほとんどいないのだそうだ。医師ですら、回虫を見たことはないという時代である。

その後、医学部の先生から、「駆虫薬を飲んだ後、もし死がいが便に混ざって出てきたら、取りに行くから水洗いして保管しておいてもらえないだろうか。実習用標本として学生に供覧したい」とのメールが来た。それほどにも珍しいのである。

そんなに珍しいものが何故、僕の体内から出てきたのか。原因を絞っていくうちにたどり着いたのがグアテマラである。最後にグアテマラから帰ってきたのは8カ月も前であるが、まだ滞在中に卵が体内に入り、次第に大きくなって、体内での生活を決め込んでいたのが、何らかの理由で体外にでてきたものだろう、ということになった。とんだところで、グアテマラと結びついてしまった。
 思い当たることがいくつかないわけではない。グアテマラを悪者にはしたくないが、まあ、仕方ないか。以前アメーバでも苦しめられたこともあるし。

もし、回虫グアテマラ原因説が当たっているとしたら、成虫になって半年以上も僕はそれを体内で養っていたことになる。うーん。

2012年9月23日 (日)

第115号 バスと物売りと物乞いと

少し大きなバス停では、バスが停車すると乗客に引き続き、物売りなどがどっと乗ってくる。それが例えほんの数分間の停車時間だとしてもにしても、水・ジュース・果物・アイスクリーム・スナック・トルティージャや新聞など様々な物売りがやってくる。
 最初はこんなところで買って大丈夫なのかと警戒もしたが、慣れてくるとなかなか便利なものだ。食事する時間がなくてバスに飛び乗ってもバスの中で何とか調達できるし、のどの乾きを何時間も我慢する必要もない。
飲み物は瓶や缶で売っていることもあるし、後の処置が面倒だからか、中身だけをビニール袋に詰め替え、ストローをつけて渡してくれる場合もある。のみ終わった後のそのビニール袋や缶びん等を、皆車の窓からぱっぱと捨てるから駐車場や道路はゴミだらけだ。

食べ物だけでなく、健康食品や栄養剤や薬などもよく売っている。これを売る人に共通なのは、ビタミンがどうだとかアスピリンがどうだとか、これは頭痛に良いとか胃腸によく効くだとか、香具師的な饒舌さだ。僕にはいかにもいかがわしそうに見えるのだが、結構売れているから面白い。

物売りと一緒にしばしば物乞いも乗ってくる。ただ手を出すだけの物乞いもいるし、最初に金を必要とする理由を書いた紙を配り、その後に集金に回ってくるのもいる。マイクを持って募金集めの演説をしていく人もいる。神の教えを説く人もいる。
 基本的にはこれらの人はバスの停車中に素早くことを済ませ、バスが動き始めると下車するのだが、バスが走りはじめても物売りや物乞いを続け、3つ4つ先のバス停で降りていく人たちもいる。次は逆のバスにのって同じことをくり返すのだろうか。もちろんバス料金など払う気配はない。
 とにかく、彼等を見ているだけでも退屈はしない。

2012年9月16日 (日)

第114号 洗濯事情

イシル地方で最初にホームステイをした家が、アデという女性の家だ。ネバフ市にある。この地方では中の上という階層だろうか。長女は医者になるためにいま大学に通っている。真ん中の娘もコンピュータ関係の技師になりたいと勉強をしている。下の娘は獣医になりたいそうだ。ま、お金にはあまり不自由していない感じである。大きなテレビが居間にはあり、ステレオもある。しっかりした薪のかまどと同時に石油のレンジもある。冷蔵庫ももちろんある。お湯の出るシャワーも付いている。インターネットにはまだ繋がっていないが、パソコンも最近買った。しかし、洗濯機はない。

アデ家だけでなく、一般の家庭で洗濯機を見たことはまだない。何故か?アデ家の場合は洗濯専任のお手伝いさんを雇っている。洗濯だけかどうかは別にして、ある程度お金持ちの家庭ではお手伝いさんを雇うのが普通のようだ。アデ家の場合、家族5人分の洗濯で支払いは月100ケツァル(1000円)だったか150ケツァルだったか。洗濯機がいくらするのかは知らないが、人を雇う方がはるかに安くつくという。

人を雇う方が安上がりなのに、人を雇うことのできない人々にはもちろん洗濯機を買う余裕はない。子だくさんで2世代3世代同居の大家族の多い家庭にとって洗濯はかなりの負担に違いないのだが、女たちは洗濯は手でするのが当たり前のこととして受けれ、黙々と励んでいるようだ。男が洗濯や調理に関わっている姿はまだ見たことが無い。おそらくこれらは女の仕事なのだろう。

僕の知る限り、ほとんどの家は洗濯槽を持っているが、共同の洗濯場もあちこちで見かける。川で洗濯している風景を見ることも稀ではない。そして、家々にはあちこちに洗った洗濯物が、折り重なるように干されている。洗濯機があればどんなに楽ができるだろうと想像するが、その日はまだ遠そうだ。電気器具の中で洗濯機の優先順位はまことに低い。男も洗濯に参加するようになれば優先順位も上がるのではないかと思うが・・。


公共の洗濯場。もちろんまだ現役だ。

2012年9月 9日 (日)

第113号 カード売りの少年

パナハチェルの目抜き通りで、母親の織ったカードを売り歩いているかわいい男の子がいる。日本に帰る時はいつも何枚かまとめてその子からカードを買う。その子とは何年も前からの知り合いで、年に一度は家も訪ねる。 

昨年の2月か3月のことだ。町で朝食を食べていると、店の中にその子が入ってきた。僕を見つけると寄ってきて、カードを買ってくれという。「まだこちらに来たばかりだから、今日は買わない。帰るときにはまた買うからね」と答える。そう言うといつもは素直に引き下がるのだが、その日はなぜか、しつこく今日買ってくれと迫った。ダメだ、今日は絶対に買わないと突き放すと、「うちは貧乏でご飯も満足に食べられない。今日は何もまだ食べてない。腹がへってしょうがない」と泣き言を言い始めた。物売りがよく使う手だ。見知らぬ人からそう言われたら、ただ無視するだけなのだが、彼からいわれると悲しい。彼の家が貧しくはなく、両親も兄弟も彼をとても可愛がっているのを知っているからだ。いつも身なりもこぎれいにしているし、朝の食事もせずにカードを売りに来るなどとは、まずありえない。

恐らく、そう言えば買ってくれる人がいることを学習してきたのだろう。彼の家は貧しくはないことを、私はよく知っている。そんなことは2度と言わないでほしい。その旨を彼に言うと、何も言わずうつむいて去って行った。

その後、何回か会ったがにこにことあいさつするだけで、買ってくれとは言わなくなった。去年だけでなく今年もそうだ、帰る時には買ってねと一言言うのは忘れないが泣き言は決して言わない。願わくば、それが僕に対するときだけの態度だけではなく、誰にでもそうあってほしい。変に媚を売ったり、お涙ちょうだい型の物売りにはなってほしくない。


ちょっと光って見えにくいけど、なかなかきれいなカードです。

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2012年9月 2日 (日)

第112号 グアテマラ人のふところ事情

はじめてグアテマラに行きスペイン語を学び始めたころのノートが出てきた。すっかり自分では忘れてしまっていたが、意外や意外、ものすごくまじめに勉強している。そのノートを見ると結構難しい文法もやっているのだが、悲しいかな、スペイン語はもちろん、それを一生懸命勉強したことすら忘れている。

余談でノートの中に、グアテマラ人の月収の目安というのがあった。ミゲルというなかなか優秀な教師がいて、授業の合間にいろいろなことを教えてくれたその一部だ。それによると、2004年当時、月収が15千ケツァル以上ある富裕層は国民の約5%、5千ケツァル以上15千ケツァル未満の中産階級?も、国民の約5%、そして、月収800ケツァル以下で平均すれば200300ケツァルの極貧層が約50%だという。尚、1ケツァルは現時点でのレートで日本円に換算して約10円である。
この数字がどれくらい信用できるのかよくわからないが、一応の目安にはなるだろうか。コツァルの知人が、
3カ月間コーヒー摘みの出稼ぎに行って、受け取った金が日本円にして合計1万円(約1000ケツァル)だったという話を聞いたとき、なんてひどい話だと思ったが、この数字を見たら妙に納得できる。雇う方にすれば、貧乏人にはそれぐらいだしておけば十分ごまかせると思っているのだろう。

コデアルテコの織手たちで一番の稼ぎ頭の収入が、月700ケツァル程だというから(これは2004年ではなく、現在の話)コツァルでの僕の知り合いは皆極貧階級ということになる。同収入でも町と田舎の生活では質にかなりの違いが出てくるが…。

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