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2012年8月

2012年8月26日 (日)

第111号 ちょっと文章が間に合わなくて・・・・

ネッバッホのホテルの窓から見えた隣の家。上部左が織物をする場。右が洗濯場。コンクリートで覆われた下部が居室部分。真ん中のトタン屋根で猫が寝ていた。 アティトゥラン湖のほとりの町サンペドロの船着き場付近。安宿が多く、外国人の長期宿泊客が多い。看板も英語の方が多く目につく。
クリスマス前から突然現れる街頭の花火屋さん。クリスマスイブと正月には、もう街中花火と爆竹の音だらけだ。年が変わった瞬間が特に激しい。      写真はパナハチェルにて。    ネバッホの洋服屋さん。
パナハチェルのとあるレストラン。華やかなこと。 バスがこんなに空いているのは珍しい。こんでくると、この座席に3人づつ座るのだから、もう、たまらない。

2012年8月19日 (日)

第110号 コデアルテコに行った日本人

イシル地方に始めて行ってから7年になる。その7年間に全部で6人の日本人にあった。そのうち3人はアンティグアで知り合った知人で、僕が案内した。もう1人はアメリカ在住の織物の専門家で、アメリカ人のツアーを引き連れてやってきた人だ。その人とは、たまたまインターネット上で知り合って、イシル地方に行きたいということで、連絡を取り合っていたので、純粋?な旅人には2人しか会っていないことになる。最近はイシルにいる期間がそう長くないため会う確率も低いのだが、それにしても日本人には知られていない地だということがよくわかる。

 僕が案内した3人はいずれもアンティグアでスペイン語を学ぶために滞在していた人たちである。3人ともコツァルに行き、同じコデアルテコのメンバーの家で食事をし、宿泊もした。同じグアテマラとはいえアンティグアとは全く違った風景や人々の様子に3人とも興味津々であったようだが、反応の仕方はかなり違っていた。

 最初に一緒に行った女性は、行く時はよくおしゃべりをしていた。泊めてもらう家に着いたのは夕方であたりはかなり暗くなっていた。そのくらがりのなかで、木の切れ端に腰をかけ、地面にじかに炊かれた焚火の上で食事にまずはド肝を抜かれたようだ。手洗い用に回された共用のたらいにも抵抗を感じたらしい。暗がりの中での手づかみの食事にも驚いた。トイレやベッドは言うに及ばずというところか。それでも、何とかとりつくろって二日後にコツァルを後にした。しかし、帰りのバスの中ではほとんど口を利かなかった。相当ショックが大きかったらしい。カルチャーショックというものではなく、食べ物、清潔感等への違和感が大きかったようだ。この人は、こんな場所を一人で旅行するには向かない人だなと感じたが、以後約半年間彼女は一人で南米を貧乏旅行している。分からないものだ。

 二人目は、これも女性である。コツァルへ2泊で行くのに荷物はウエストポーチだけだ。持ち物はお金等の必需品のほかは、下着が上下一枚づつだけだという。これにはこちらがちょっと驚いた。海外旅行は今回が初めてだということだったが、実にさばさばしていて順応が早い。何にでもすーと溶け込み全く問題はない。寝床で、ノミに噛まれたらしいと、ぼりぼりやっていたがそれも何だか自然な感じ?だった。いまも、僕とコツァルとの結びつきを一番喜んでくれている人だ。

 三人目は60歳を超えているが実に精力的な男性だ。スペイン語はほとんど話せないのだが、まったくものおじすることなく、何でも、誰にでも積極的に話しかけ、相手の反応を見ながら結構楽しんでいる。最初の日から、食事もお代わりしていた。大雑把なようだが、実によく気の付く人で気配りもすごい。初めての家なのにさりげなくお手伝いもしている。文化の違いを楽しむとかいう雰囲気は感じられないのだが、この人もグアテマラにはまったらしく、毎年長期間の訪問をし、イシル地方もしばしば訪れているようだ。

 その土地の風俗や習慣を見るのはもちろん面白いが、そこに行った日本人がどのような反応をするかを見るのもまたおもしろい。もっと多くの日本人がこの地を訪れ、いろいろな反応をしてほしいものだ。

2012年8月12日 (日)

第109号 ボール蹴りとカップラーメンと

ネバッホの知人を訪ねた。クリーニング屋兼旅行代理店をしており何度か訪れたことはあるのだが、そう親しいわけでもない。

玄関先の道で息子がボール遊びをしており、一緒に遊んでくれと言うので「ちょっとなら」と一緒にサッカーのまねごとをした。二人で蹴り合いをしていると、6歳くらいの妹も一緒に遊びたいという。間もなく、近所の子も一人・二人と加わってきた。そしてしばらくすると、通りがかりのおばちゃん二人が一緒に遊び始めた。二人とももう40歳は過ぎていると思われる。スカートをからげ必死で球を追っている。見物客も増えてきた。こちらは息が切れて早くやめたいが、こうなるとなかなか「いち抜けた」とは言い出せない。あたりが暗くなってやっと解放された。明日は体の節々が痛いに違いないと思いながらへたり込む。

それを見ていた母親(これが知人)が、一緒に夕食を食べて行けと言い出した。2回ほど断ったのだが、子供も一緒に食べたがっているからと何度もすすめられ、結局ごちそうになることにする。

洗濯機と乾燥機が何台かおかれた部屋を横切って階段を上った二階が居室になっている。しかし、この居室からは、隣の家との境のブロックが直接見える。この家の二階の西側には壁が無いのだ。風は入り放題である。この地方は、季節によっては底冷えもする。決して貧しくはなく、ここらでは中流に属すると思われるこの家の、家屋へのこだわりのなさにびっくりする。尚、居間と食堂兼用の部屋の中には、これまでに見たどの家のものよりも立派なチュ(マヤ式サウナ風呂)がドーンと据わっていた。

さて、夕食だ。でてきたのは、昼食の残りの野菜の煮物と、メインはカップラーメンだった。日本では、人を招待して食事にカップラーメンを出すことは、まずあり得ないことだが、グアテマラでは、そう珍しいことでもない。有難く頂戴した。日本ではこうして食べるんだよと、フォークに麺をからませて、勢いよくズルズルとすすって食べてみせた。皆不思議そうに眺めていた。同じようにしてみるよう言ってみたが、誰もすすれなかった。麺をすすって食べる習慣のない人たちには、すするという行為そのものができないのだという話を聞いたことがあるが、どうも本当らしい。

まさに、「ところ変れば品変る」である。日常の中にも随所にお国柄が見えておもしろい。

2012年8月 5日 (日)

第108号 ある少女

コデアルテコの事務所で水泳について話していた時のことだ。「私泳げるの」とその子が突然言った。まだ12~13歳程度のペドロの知り合いの女の子だ。皆、エエツと彼女の顔を見た。

この地には海はない。川はあるが泳げるほどに水を溜めたところはない。公営プールなどもちろんないし、学校にプールがあるわけでもない。要するに皆泳ぎの経験が無いから、この地の人のほとんどは泳げない。この地で泳げる人といえば、大金持ちの特権階級と言っていい。しかし、僕もその他の人も知っていた、彼女の家がとてつもなく貧しいことを。彼女の家族が今住んでいる家には電気もないことを。

その後、何故彼女が泳げるかそのわけを知った。彼女の祖父は豪邸を持つ大金持ちだった。その遺産を引き継いだ父親は放蕩息子で、あっという間にその財産を食いつぶした。資産を食いつぶすまでの間に、彼女は水泳を習っていいたというわけだ。家も土地もすべてを失った彼らは首都のグアテマラシティに職を求めて移り住んだ。しかし、彼の地にも求めるものはなく、失意のうちに再び生まれ故郷に戻ってきた。そして今は電気のない家で生活している。

自分で勝手に食いつぶした親が、どんな生活をしたとこで知ったことじゃない。しかし、いつも明るくて、人生の大暗転のあったことなどみじんも感じさせない彼女を見るのはつらい。

その後、彼女とその家族総出で海岸地方のコーヒー園に出稼ぎに行ったとの知らせがペドロから届いた。家族全員で働いて、1カ月の報酬が一万円くらいにはなるだろうか。

 「私泳げるの」とぽつんとつぶやいた彼女は、いつか今の境遇から這い上がることができるのだろうか。暗澹たる気持ちになる。

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