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2011年9月

2011年9月25日 (日)

第70号 現金自動支払機

今年の6月、グアテマラから帰ってきて2ヶ月くらいたったころのことだ。銀行より電話がかかってきた。「あなたのカードが不正に使われている恐れがあります。至急確認してください」というではないか。早速、インターネットで調べてみた。うーん、使われている、使われている。覚えのない金が40万円以上引き出されている。よりに依って、この貧乏人から金をとるかと腹が立ったが、そんなことを言っても相手には関係ないか。

幸いにも使われたのは、僕が日本に帰国してから後のことだ。自分が引き出してないのは明らかだ。しかも使われたのは、僕の行ったことのない、コロンビア、ドミニカ共和国、そしてアメリカのマイアミとニューヨークである。

パスポートと航空切符を調べればすぐわかることなので、結局全額がかえってきた。しかし、もしその時期に僕がまだ日本に帰国していないとしたら、しかもその地を旅行していたとしたらいったいどうなるんだ?自分で引きだしたのもではないと、誰が、何が証明してくれるんだ?

どこかの自動現金引き出し機を使ったときに暗証番号を何らかの形で読み取られたに違いない。これも怖い話だ。いつどこでやられたのやらさっぱり記憶にない。

この銀行のカードは全体で何十万枚あるのか知らないが、使われ方がおかしいとすぐ分かって、カードの持ち主の所に連絡が時間をおかずにかかってくるのもすごいが、これもまた怖いことだ。要するに、カードがどのように使われているのか始終監視されているということなのだろう。

今回のようなスキミングとは違うのだが、過去にもう一度カード被害にあったことがある。数年前のことだ。

ネバッホの公園横の自動支払い機で、金を下ろそうとした時のことだ。希望金額を打ちこむと、機械がカタカタカタと札束を数え始めた。その直後、機械の電気がすべて消えて、画面に何か表示が出た。スペイン語で時間も短かったため、もちろん読み取れない。間もなく電気は復旧した。カードも取り出し口から出てきた。しかし、金は出てこない。あわてて、周りにいた人に助けを求めたがどうにもならない。時は夜だ。機械を管理しているという銀行は閉まっている。

あくる日銀行に行き、事情を説明しどうなっているか調べてくれと頼んだ。対応に出たかわいい女の子が、上司に相談したり、あちこちに電話をしたりして熱心に調べてくれたが、結論は、ここではわからないとのことだ。しばらくねばったのだが、言葉の壁もあって何ともならなかった。なんとか銀行口座から引き落とされていないことを願ったが、帰って調べると、きちんと引き落とされていた。日本円にして約3万円。むこうではかなりの金額だ。

 

こんなこともあるからカードはなるべく使いたくないのだが、総合的に考えると、一番便利であることは間違いない。全額現金というのも、それこそ盗まれたら終わりでだし、トラベラーズチェックは換金できないところが結構多い。ついついカードに頼ってしまう。

2011年9月17日 (土)

第69号 靴磨き

ネバッホの中央公園前に3階建ての食堂兼ホテルがある。ここらではこぎれいという部類の店だ。建物のつくりと戸締りがしっかりしていて、埃が入ってこなく、かつ客もあまり多くないからのんびりできて時々利用する。

ビールを飲みながら公園に目をやると、今日もたくさんの人が集まっている。初めての人は今日も何か行事でもあるのか?と思うかもしれない。しかし、これはいつものことだ。ある人は所在なさそうに座り、ある人たちは楽しそうにおしゃべりをしている。中央の噴水では、水をすくって顔を洗っている人の姿も見える。なんと多くの暇な人たちが・・、と思うが人のことは言えぬ。あるいは、めっぽう忙しい人たちなのかもしれぬ。人々の間をアイスキャンデイやトルティージャなどを抱えた物売りがすりぬけてゆく。

とりわけ、黒い木の箱を下げた少年たちの姿が目を引く。ざっと見渡して、公園の中だけで、20人程度はいるだろうか。すぐ横の市役所前にも何人かたむろしている。店の前にも商店の入り口にもいる。彼らは靴磨きの少年たちである。黒い箱の中には靴磨きの道具が一式入っている。客は、ベンチに座り、その箱の上に足を乗せて靴を磨いてもらう。少年たちは、靴墨を塗るのに刷毛や布切れは使わない。すべて自分の手で塗る。だから、彼らの手は例外なく皆真っ黒である。

少年たちはぶらぶらと歩きながら、あるいは仲間とおしゃべりをしながら、眼だけはしっかりと、そこを行き交う人の足元を見ている。汚れた靴を見つけると、素早く声をかける。時には、汚れてなくても、いや、今他の所で磨いたばかりの人にでも声をかける。実際公園を歩いていると、何人もの人から磨かないかという声をかけられる。

これだけたくさんの靴磨き少年がいると、なかなか商売は成り立たないのではと思うが、それでも結構客はあるらしい。無い時は、公園を離れ、店の中や食堂の中にいる客も狙う。

各人がどれだけの稼ぎがあるかは別にして、これだけの靴磨きがいるということは、それなりの需要があるということなのだろう。

左様、この国の人たちは、靴を大変よく磨くようだ。汚れた人はもちろん、あまり汚れてないように見えても彼らは気軽に靴磨きを依頼する。ステイ先の家の中で家族5人分の靴を出して磨いてもらっていた場面に出くわしたこともある。

何故自分でしないの?とも思うが、これもお国柄なのか。暇はあっても靴磨きは他人にしてもらうのが、ここの人たちのステイタスなのかもしれない。もちろん僕になじみの深い貧困家庭はこの部類には入らない。ちなみに、靴磨きの料金は1ケツァル。日本円にして約12円である。


      この中に少なくとも4人の靴磨きの少年がいます。

2011年9月11日 (日)

第68号 交通事故 

アンティグアからチマルテナンゴに抜ける道は急カーブの山道が続いている。その狭く急な坂道をバスは結構スピードを出して走りぬけてゆく。

アンティグアに買い物に行き、コツァルへ帰ろうとして、バスに乗った時のことだ。斜め前方にバイクが、これまたかなりのスピードで右側車線に大きくはみ出しながら走ってくるのが見えた。このままでは衝突する!と息を飲んだ。少し間をおいて、ガシャという音がした。正面衝突ではなくてどうもバスの左側方に衝突したらしい。バイクの運転手がよろよろと立ちあがる。頭を押さえている。バイクは少し離れたところに転がっている。かなりふらつきながらバイクの所に行った彼は、恐らく満身の力を込めてバイクを起こし、そのままよろよろと歩き始めた。やがて急カーブの向こうに消えた。もちろんバスの車掌と運転手は降りた。だが、バイクには見向きもせず。バイクの運転手に声をかけるでもなく、なんと、自分のバスの傷具合を見ているではないか。

やがて、バスは何事もなかったかのように走り出し、窓から身を乗り出すように見ていた乗客も元の席に戻った。

あれだけの事故だ、今は気が張っているからバイクをついて歩けたとしても、後からいろいろ症状が出てくるだろう。頭を強く打っているかもしれぬ。

僕の見た限りでいえば、非は大きくバイクにある。だとしても、声くらいかけてもいいではないか。体の様子を気遣ってもいいではないか。バイクの方も、黙って、すごすごと逃げるように消える必要はないではないか。警察に届けるべきではないのか。大変な後遺症が出てきたらどうするんだ。と、一人グタグタと考えた。ちょっと間違えば即死であってもおかしくないような事故なのに。

バスを見上げるでもなく一声も発することなく立ち去ったバイクの運転手。倒れている人にこれまた声をかけるでもなく、バスの傷の程度を見ながら何やら話をしていたバスの車掌と運転手。座席を移動して事の成り行きを見守りながら、これまた何も言わないたくさんの乗客。この際死んだわけではないが、死に至る危険は大いにあった事故に対するあまりにもよそよそしい無関心ともいえる態度が空恐ろしい。この国の人の命の安さが透けて見える。

2011年9月 4日 (日)

第67号 何が危険なのか

グアテマラのバスは入口の戸を開けたままよく走る。時として、開けたままでブンブン飛ばす。その間車掌は集金に回っておりドアのそばにいないこともよくある。また停留所に着いたとき、完全に停車せず、のろのろと動きながら人が乗り降りすることもまれではない。乗客には、もちろん子どももいれば年寄りもいる。体の不自由な人だっているだろう。田舎に行けば、バスの屋根の上の荷物置き場まで鈴なりとなり状態で人が載っている光景も見かける。

 

 3月終わりか4月に毎年盛大に行われるセマナサンタ週間に合わせて、ネバッホにも移動遊園地がやってくる。ネバッホまでは来るが、イシルの他の地域、コツァルやチャフルまではやってこない。坂道ばっかりで、まとまった平地空間はないから、移動遊園地の観覧車などは、そこいらの車の交通量のあまり多くない道路に設置される。如何にも簡単に出来上がる。これで本当に大丈夫?と疑問がわく。

観覧車に乗ろうと多くの人が、長い列を作って待つ。ただ見物するだけの人もたくさんいる。道路だからもちろん通り抜けるだけの人もいる。ごったがえすというわけだ。観覧車の周りに柵があるわけではない。手を伸ばせば、動いている観覧車にいくらでも触れられる。この観覧車、日本でよく見かけるやつとは違って、猛スピードで回転する。一度、ステイ先の子供たちと一緒に乗った。結構速く、振り落とされそうな気がして座席前の支え棒を持つ手に力が入る。子供たちはキャーキャーと大声を出して怖がっていた。まわりを歩いている人は気をつけないと接触したら大けがをする。


 バスにしろ、観覧車にしろ、恐らく、怪我をしたら、その本人の注意不足で片がつけられるに違いない。

日本人の感覚からすれば、信じられない光景である。日本であんなことをすれば大変だ。バス会社に対する非難ごうごう。移動遊園地の責任者は解任。マスコミは大きく取り上げ新聞や雑誌・テレビの格好の餌食となる。やれ裁判だ、やれ賠償だと大騒ぎになる。

なんせ日本では、見通しがよく、どう見ても人一人通っていない道だとしても、そこに信号があり、それが赤なら通ってはいけないのだ。ぐるり見渡して車の影も見えなくても、やっぱり危険があるとの認識らしい。皆それを従順に守っているところも不気味であるが…。

 

古代マヤを代表する遺跡の一つにティカル遺跡がある。グアテマラだけでなく、ホンジュラス・ベリーズ・メキシコといくつかの有名なマヤ遺跡を訪ねたが、どれが一番良かったかと聞かれれば、僕にとってはやっぱりティカル遺跡だ。

この際どれがよかったかなどどうでもいいことなのだが、そのティカル遺跡の入口にちょっとした池がある。柵も何もなく幼児でも歩いて入ろうと思えば、簡単に入れる池だ。その池の横にさりげなく、木で造られた注意書きがある。曰く、「PELIGRO COCODRILO」。ワニ危険と書いてある。ウソー と思わず叫びたくなった。柵も何もないこの小さな池にはワニがいるのである。危ないと思ったら自分らで何とかしなさいよ、ということなのだろう。

 

危険とは何であるのか、危険の責任はどこにあるのか、自己責任とは何なのか、数多くのことを考えさせられた例のいくつかである。ところ変わればもののとらえ方もなんと変わるものか。


       池のワニへの注意喚起はこの看板?だけ

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