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2011年8月28日 (日)

第66号 脳の使い場所の違い?

キチェとコツァル間を走っているバスには何回も乗った。同じ車掌にも何回も出くわした。親しく言葉を交わしたことはなかったが、僕は馴染みの客である。そう思っていた。

ある日、キチェのバスターミナルでその車掌の一人に出会った。タクシーの運転手をしている。知り合いに出会えたことがなんだか嬉しくて、「バスの車掌はもうやめたのか」と声をかけた。

怪訝そうな顔をして僕の方を振り向くと、「ああ、あんた俺がバスの車掌をしていたことを知っているのか、俺がのっていたバスに乗ったことがあるのか」と言うではないか。ひょっとして人違いをしたかなと見直した。しかし間違いない。が、向こうはどう見ても僕の顔には全く見覚えがないという顔をしている。

グアテマラのバスの車掌の記憶力の良さには観光客の間で定評がある。何号か前にも書いたが、それはもう驚異的といっていいほどの記憶力なのだ。あの足の置き場もないほどの混雑の中でも的確に料金の未払い者と支払者を見分け金を集めて回る。いったい何を目安に見分けるのか不思議で不思議でしょうがない。

今目の前にいる元バスの車掌もその例外ではなく、驚異と感嘆の目で見た車掌の一人である。その彼が、僕の顔に気がつかない。確かに僕は何回も彼の乗務する車に乗った。しかも僕は外国人である。この地では、かなり目立つはずだ。だのになぜだ。なぜ覚えてない?

あの田舎で、何回も顔を合わせた僕の顔は覚えていない。しかし、乗客一人一人は何らかの方法で確実に見分けている。じゃ、その方法とはなんなんだ。

謎は深まるばかりである。おそらく、脳の使い場所が違うんだろうなー。そうとしか考えられない。

誰かわかる人がいたら教えて!!

 

バスは重労働の割には実入りが悪くて、今度タクシー運転手を始めたんだ、というのが、最初の僕の質問に対する答えだった。その彼がタクシーを運転する様子をしばらく見た。

顔も覚えてもらえてなかった腹いせに書くが、その運転のなんと下手なこと。結構広い道をUターンするのに何回も何回も切り返し、まるで初めて教習所に運転を習いに来た生徒のようだった。あれでは、客も怖いし、収入も上がるまい。

バスで培ったあの驚異的記憶力を何とか生かす手はないものか?!

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