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2011年5月

2011年5月26日 (木)

第54号 幻の鳥ケツァル

2010年チャフールでのことだ。ここには珍しい鳥を飼っている人がいるのだが、その鳥を見たいか、という話になった。その珍しい鳥とはケツァルだ。
 そんなことを突然言われても誰も信じはしない。ケツァルはグアテマラの国鳥で、お金の単位にもなっている鳥だ。誰が決めたかは知らないが世界で一番美しい鳥だとも言われている。手塚治の漫画「火の鳥」のモデルらしい。そして、その鳥は昔から人に捕えらたら生き延びることができないという。飼育不能なことから自由の象徴としてもとりざたされる。もちろん数も少ない。そうどこにでも居るもんじゃない。居るといわれる場所でもそう滅多に見られるものでもない。ケツァル観鳥ができるといわれる有名な場所があるのだが、そこに出かけた多くの人が、高い金を払って失意のうちに帰ってくるということだ。そう、この鳥は幻の鳥と呼ばれている。

そんな鳥を飼っている話などどうして信じられよう。しかもこの地域はケツァルの生息域ではないはずだ。でも本当なら見たい。是非見てみたい。

説明は省くが、その時一緒にいたメンバーは、僕を含めて日本人二人、アメリカ人5~6人、フランス人とスイス人各一人、グアテマラ人一人。皆色めきたった。いざ、ケツァルのいるという家に向かってしゅっぱあ~つ。

歩くこと5分足らず。その家に着いた。「あのー、ここにケツァルがいると聞いたんですけどー??」「ああ、いるよ、見たいの?」「見たい観たい、ぜひ観たい」「じゃ、今から連れてくるから待っててね」みたいな会話がイシル語で続いたようだ。しかし、幻の鳥であり、バードウオッチャーの憧れの的といわれる鳥を見るにしては、うーん、あまりに話が軽すぎる。ケツァルという名の何か別ものではないのか、偽物ではないのか、はく製ではないのかなどなどの疑念が渦巻く。

待つこと、ほんの1~2分。全体が緑で、胴周りの赤が目立つ鳥が飼い主の腕に止まって表れた。生きている。尻尾も長く垂れ下がっている。まだ幼くて小ぶりだが本物だ、ケツァルだ。思わず、「ウォー」という声が皆の間から上がったかどうかは記憶にないのだが、皆感激したことは間違いない。

それからがもう大変、ケツァルにとっては受難の10分余り。皆、触るわ抱こうとするわ、カメラを取り出しフラッシュは焚きまくるわ。何事かとおびえたケツァルの居場所のなさそうなあの憂い顔。

思いに反し、あまりにもあっけないケツァルとの対面でした。いやー、よかったよかった。しかし、見てしまった後だからいうが、あんな貴重な鳥は捕まえずに森の中で寿命をまっとうさせてやりなさい。

蛇足ながら、この希少な国鳥であるケツァルの捕獲はもちろん法律で禁じられている。

これがケツァルだ。これはコスタリカの森林で、望遠鏡にカメラレンズを押しつけて撮影したもの。 これが迷惑顔のケツァル幼鳥


 尚、今年チャフルを訪れたとき、この鳥はもういなかった。元飼い主は、山に放したと言ったが、あれは死んだんだという話も聞いた。どうも後者の方に真実味がある。だって、昨年、縛られてたわけでもないのに飛ばなかったもの。きっと、羽を切られていたに違いない。
この地方はケツァルの生息域ではないはずだ、と書いたが、猟を時々するという人に話を聞くと、この地域でも山深く入るとケツァルは時々見るということだ。

2011年5月20日 (金)

第53号 ラジオ

ある日イネスの家を訪れた。ラジオを聞きながら彼女は織物に余念がない。どうも、僕の注文したマフラーを製作中らしい。出来栄えが気になるところだが、その時はマフラーよりもラジオ放送に気をとられてしまった。

ラジオ放送に注目したのにはわけがある。ウエウエテナンゴ県のトドス・サントスという小さな村の中にこれまた小さなラジオ放送局があった。現地語のマム語放送で、志ある何人かの人たちが協力して開局したものだ。内容は村人への情報提供。情報の内容は、世界情勢もグアテマラ中央情勢も地域の情報も、村の情報もある。冠婚葬祭情報もある。

なぜ今さらラジオ局なのか。それはこの国の言語事情が深くかかわっている。もし、スペイン語を理解できれば、テレビもある、新聞もある。しかし、スペイン語ができない人たちはたくさんいる。スペイン語が理解できない人たちの情報といえば、口伝えしかない。昔はそれでもよかった。極めて狭い世界の中だけでの伝達で問題なかったからである。だが、今はそうはいかない。たとえば、グアテマラ大統領を選ぶ選挙はいつあるのか、誰が立候補しているのか、その人はどんな考えを持っているのかなどなど村人も知らねばならない。自分たちの生活に直結してくることだ。

グアテマラには現地語が約20あり、お互いに理解できないことが多い。それを網羅する中央管理の放送は困難だ。だから、スペイン語を勉強してスペイン語を共通言語としなさい、というのが国の政策だろうが、住民、とりわけ年配の人たちから見ればそうはいかない。結局、簡単にできて安上がりで、しかも情報を得るためのとても重要な手段としてのラジオの出番がここにある。トドス・サントスでは、そのラジオ局開設と放送に至るまでの人々の様子を描いたビデオがあった。ラジオ局開設は、村の意識改革にもつながったという。それは、その土地の人たちにとってとても大切なものだったのだ。

イネスの家でラジオを聞いたときそれを思い出した。コツァルにもそのような組織と放送局があったのかと、喜んだ。
 ラジオの言葉に耳を傾けると、スペイン語ではない。イシル語に間違いない。そこまでは、よかった。しかし、雰囲気からすると内容はどうも宗教くさい。確かめると、やはりキリスト教のエバンへリコ(新教)の作った放送局の放送だった。神と教会の話のみでニュースなどはないという。これがこの地方唯一の現地語による放送らしい。ネバッホのカトリック教会の敷地内には、ラジオ放送局らしきものがあったが、あれはカトリックの宣伝放送に違いない。このイシル地方ではまだ、トドス・サントスで見たような皆のためのラジオ放送はできていないのだ。

以前インターネット上で、反差別国際運動日本委員会という団体が、グアテマラ・プロジェクトとしてラジオ局の設置とラジオ受信機の配布のための活動をしていたのを見たことがある。その時は、なぜこんなことをしているのだろう、なんで今さらラジオなのだと思っただけだったが、現地にいるとその活動の大切さがよくわかる。ラジオ局設置は、単に情報獲得の手段として大切なものであるだけでなく、聞く側・発信する側双方にとって、その地域を守り育てていくうえでとても重要なのだ。

イシルにも一日も早く、民間の放送局が設置され、人々が自分でいろいろなことを判断するための情報を入手できることを願う。

文とは何の関係もありません。コツァルの儀式用衣装です。最近は織れる人がとても少なくなってきています。

2011年5月13日 (金)

第52号 出稼ぎ アメリカ編

先日、「闇の列車 光の旅」というメキシコ映画を観た。中米からアメリカに移住しようとする人たちと、その人たちから金品を奪おうとするチンピラたちを通して、中米・メキシコの抱える問題の一面を浮き彫りにした映画だ。多くの危険を承知で尚、アメリカ移住に希望を見いだそうとする人たちの存在も、映画の中で描かれたようなチンピラとそのグループ同士の抗争も、ともに現在の中米の抱える大きな問題の一つだ。だが、この問題を考えるのがこの文のねらいではない。この映画を見ながら、グアテマラの西部高原地帯で聞いたアメリカ行きさんの事を思い出した。今回は、国内でのコーヒー摘みやサトウキビ刈りとは違ったアメリカへの出稼ぎについて書いてみよう。

映画ではメキシコとグアテマラの国境の町のタパチュラから列車の屋根に乗ってアメリカ国境を目指すというものだったが、グアテマラ西部高原地帯から行く場合、僕が聞いたのはどれも、列車ではなく車で行く。アメリカ密入国を企てる者は、「コヨーテ」と呼ばれるアメリカ密入国斡旋業者に先ずは接触し彼らに頼る。正確には覚えていないのだが、15万近い金を渡すと、コヨーテが手引きをしてくれるという。15万と言えば、ものすごい大金だ。親戚中から借り集め何とか金を工面できるものがアメリカ行きを試みることができるというわけだ。しばしば、失敗してグアテマラに強制送還させられるのだが、コヨーテは3回までは試みさせてくれるのだそうだ。3回のうちにはほとんどの人が密入国に成功し、借金を返したくさんの貯金もできるということらしい。金を無駄にしてしまう人は少ないと聞いた。
 あれだけ厳しいといわれているアメリカ国境をどうやって超えるのか興味があるところだ。国境にトンネルでも掘るのか、壁をよじ登るのか、鉄条網を切って入るのかなどいろいろ想像して聞いたのだが、彼らの答えは簡単だった。車に乗って、だそうだ。それもトランクに隠れてとか荷台の荷物の下に潜んでとかいうのではなく、堂々とだそうだ。そうですか、と言って簡単に信じることはできない話なのだが、どうも誇張ばかりではないらしい。座席に座って堂々とかどうかは知らないが、アメリカにわたって帰ってきたという人がごまんといる。

一度アメリカ国内に入ってしまえば、あとは簡単だ。たいていの場合はすでに親せきや知人が滞在していて、一人暮らしに悩むということもないらしい。あまりまともな仕事はないが、それでもなんとか職を探し、人種差別をやり過ごし、共同の部屋に住み、グアテマラにいる時とそう生活スタイルを変えずにトルティージャとフリホーレスの質素な食事をするという生活を続ければ、3~4年のうちには結構貯金もできるという。

そして何年か後自分の村へ凱旋だ。パスポートも持たない彼らだが、帰る時は正真正銘堂々と飛行機で帰るのだそうだ。パスポートなしでなぜ国際線の飛行機に乗れるのか、これまた不思議でしょうがないが、これもまた何人もの人から聞いた。入国には厳しいが、飛行機の切符さえあれば、出国は全く問題ないのだという。

アメリカ密入国の実際は、このように簡単なものではなく、悲惨な出来事も数限りなくあると思うのだが、僕が聞いたのは、明るく如何にも簡単にできそうな話ばかりだった。もっとも、聞いたのは、出入国に成功し、金もためて帰った人ばかりだったからかも。

金をためて帰国後の彼らの生活もまたおもしろい。まずは家を建てる。伝統的な日干し煉瓦と土の壁と違って、コンクリートの2階建てだ。アメリカで見てきた家が影響しているのだろう。ついで、毎日宴会だ。知人友人を呼んで飲み続けるという。その間もちろん仕事はしない。したくても適当な仕事がないことがほとんどらしい。もともとちゃんと仕事があって収入があれば、アメリカへも行かなかったに違いない。そして、まもなく貯金が底をつく。さてどうする?答えは一つ、ふたたびアメリカへの密入国だ。
 というわけで、大金を投じて出来上がりはしたが、住む人のいない空き家が、ゴロゴロしている。親兄弟はいるのだが、アメリカに住んだことのない人々にとってはどうも居心地が悪いらしく、彼らは古い昔からの家に住み続け、新しい家には住みたがらないという。なんともはや、と僕は思うが果たして彼らはどう考えているのか。

今書いた話は、トドス・サントスという町で顕著だった。イシルのネバッホでもよく聞いた。しかし、コツァルではほとんど聞いたことがない。コツァルでは、昔ながらのコーヒー園とサトウキビ園への出稼ぎがいまだに多い。その差が何であるのかはよくわからない。尚、トドス・サントスの若者の80%が学校を終えたらアメリカに行きたいと考えているとのことだ。地元に残ってコツコツとというのはほんの一握りらしい。彼らにとってまだまだアメリカは夢であり続けている。

映画の一場。 実際、体一面を素肌が見えないほど彫り物で埋め尽くした若者が、グアテマラシティやエルサルバドルなどにはたくさんいるということだ。現地のテレビニュースによく登場するが、まだ、直接に出会ったことはない。

2011年5月 5日 (木)

第51号 出稼ぎ

前回、がけ崩れの事を書いた。あのがけ崩れの影響で、多くの人たちは現金収入が途絶えた。いくらあまり現金収入に頼らない生活をしているといっても、それには限度がある。困った人たちは、車がなんとか通れるようになった頃、出稼ぎに出かけた。行き先はコーヒー園。その中に、コデアルテコで、出来上がった織物を加工しバッグや小物類などの製品づくりの仕事をしているファンもいた。そのファンから話を聞いた。

彼には妻と幼い3人の子供がいる。それに老いた両親も。彼らを養うためには出稼ぎしか方法がなかった。コーヒー園がトラックを手配し、その荷台に乗って多くの人が一緒に出かけたという。仕事は、コーヒー摘み。朝8時ころから日が暮れるまでの約10時間労働で、休みは週1日。期間は3カ月。食べ物は、3回とも主食のトウモロコシとフリホーレス(インゲン豆)のみ。ベッドはなく、床にごろ寝。そして、受け取った報酬は900ケツァル。食費は差し引いて残った額である。

これは、日本円にして約1万円。ひと月当たり約3千3百円。週6日労働として1日当たり約127円。いくらグアテマラの物価が安いといっても、ひどすぎる。これはもう奴隷労働だ。ちなみに、4年ほど前に聞いた話だが、アンティグアのコーヒー園での大人の報酬が、1日当たり30ケツァルから35ケツァル(約500円・当時)とのことだった。それを聞いた時にはその安さにびっくりしたものだが・・・。

そもそもどういう話で彼らは出稼ぎに出かけたのだろう。契約などというものがあったのかなかったのか。受け取った金額を見て皆怒りださなかったのか、等等疑問は浮かぶ。奴隷労働だなどと書いてはみる。だが、同じ人がいくかどうかは別にして、来年もまた同じようなことが繰り返されるのだろうと僕は思う。今回、がけ崩れによる現金収入の途絶えからの出稼ぎと書いたが、それはファンには当てはまっても皆に当てはまることではない。がけ崩れに関係なく、毎年出稼ぎに出かけなくてはならない人はたくさんいる。どんない少ない額であったとしても、それでもそれに頼らなければ生きていけない人が圧倒的に多いのだから。

3カ月間の労働で、一万円の報酬で彼らは一人当たり何百キロのコーヒーの実を摘んだことだろう。その後たくさんの行程と労働を経るにしても、それが日本の喫茶店にグアテマラコーヒーとして並ぶ時、ほんの数グラムから作られるカップ1杯のコーヒーが、彼らの3日から4日の労働と同じ値だとは彼らには想像もできないことだろう。彼らには想像できなくても、私たちは知らねばならないと今強く思う。と、今日は少し硬い話になってしまった。

コーヒーの花慎ましくも凛としたたたずまいがいい。

まだ青いコーヒーの実赤く熟すと甘酸っぱいにおいがする。

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