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2009年12月

2009年12月27日 (日)

第28号 初めてのお泊り 下

さて、僕にあてがわれたベッドだが、どうもいつもはペドロが寝ている様子だった。木の台の上に何枚かの板がしかれており、その上に薄いスポンジのようなものがある。それが敷布団だ。上にかけるのは薄い布切れと毛布が各一枚。不安そうな顔をしていたのか、ペドロがもう一枚毛布を運んでくれた。申し訳ない。

やがてペドロはちょっと用事があるからと出かけて行った。後に一人残された。テレビはこの家にはない。ラジオもない。本もないが、もしあったとしても僕には電気が暗すぎて読めない。他の家族はもう寝ている様子で話相手もいない。辺りはシーンと静まり返り、わずかに雨の音が聞こえてくる。もう寝るしかない。服は全部着たまま早々とベッドに入った。風は壁からも屋根からも入ってくる。眠れないのではと心配したが、やがて眠ったようだ。しかし、夜中にトイレに行きたくて目が覚めた。

なんとか手探りで部屋の電気のありかを探し、電気をともした。そこまではよかった。問題はそれからだった。なんせ、外は真っ暗なのだ。急なことで懐中電灯も持ってはいない。トイレは15メートルくらい坂道を上った屋外にある。そこに通じる道は狭く、しかも曲がりくねっており、道端には畑の土が盛り上げてある。霧のような雨は降り続いており、ぬかるんで滑りやすい。

恐る恐る一歩ずつ手探り足探りで進む。ムギュッとぬかるんだ泥の中に踏み込んでしまったようだ。棒きれにつまずいては滑って転びそうになる。時間がたっても目は暗闇に順応してはくれない。たかが15メートルほどなのにトイレまでたどり着くことは諦めて、途中で用はすませ、また10センチほどの歩幅で部屋までたどり着いた。靴はグチュグチュ、靴下までびっしょり。もちろん頭も服も濡れている。

もう眠れないに違いないと観念したが、またいつの間にか眠ってしまった。目が覚めるとあたりは明るく、雨はすっかりあがっていた。

初めての経験は、やはり若干のスリルと刺激が伴うもののようだ。

ペドロの姪っ子たち
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2009年12月25日 (金)

第27号 初めてのお泊り 上

コデアルテコと出会い、コツァルに来ると昼食はいつもペドロの家でごちそうになっていたが、そのころはまだ寝る場所はネバッホのアデの家だった。毎日片道約30分かけてコツァルへ通っていた。代金は5ケツァル、日本円にして約75円だ。

ある日、コツァルを夕方の5時ごろ出発するバス(ミニバスと呼ばれるワゴン車)の最終便を待っていたら、今日は客がないからもうネバッホにはいかないという。そんなことはよくあることなので、別に驚きはしないが、さて困ってしまった。他には帰る手段がない。タクシーはこの街にはない。旅館もない(その時はそう思っていたが、後日あることが判明)。歩くには遠すぎるし、ヒッチハイクには危険すぎるし車が捕まる可能性も少ない。

名案が浮かばなくて、少し焦りながらコデアルテコの事務所に引き返した。幸いなことに薄暗がりの中でまだペドロが仕事をしていた。バスがない旨告げると、何の躊躇もなく、ただ一言、「うちに泊まればいい」。

嬉しかったが、すぐペドロ家の間取りが頭に浮かんだ。僕が知る限り、あそこには子供を含めた現在の住人8人に対し、ベッドは4つしかない。そのうちの二つはちょっと広めだが、後の二つは一人が寝るのがやっとの広さだ。僕が泊ったら他の人たちのベッドを奪うことになるのではないのか。もう一度確かめた。答えは「問題ない」の一言だ。以前にも誰か同じような条件下で泊ったことがあるらしい。好意に甘えることとした。

ペドロの仕事が一段落してから、暗くなった道を家に向かった。夕方から雨になっていた。いきなり訪れた僕を家族は当たり前のような態度で迎えてくれた。昼間は何度か訪れており、よく知った顔なのだが、泊るのは初めてなので緊張していた心が少し和んだ。ありがたかった。
夕食はトルティージャとフリホーレスとコーヒーだ。おそらく田舎での典型的な夕食だろう。ここのトルティージャはとても僕の口に合うのでうれしい。夕食後ペドロと話をしていると、家族は三々五々食堂から出て行った。8時過ぎに僕らが食堂を出るころには、食堂から外に出るには寝室を通らなければならないのだが、他の家族はもうベッドに入っている様子だった。

コーヒー豆を炒るペドロの家族

2009年12月19日 (土)

第26号 ローソク作り

ペドロの家からバス乗り場に向かう道の途中にコデアルテコのメンバーの一人であるフアナの家がある。ペドロと立ち寄った。フアナは、メンバーの一人として、もちろん織物もするが、そのほかの副業として、ローソク作りをしている。どんなものか早速見せてもらうことにした。

作り方は極めてシンプルである。天井から直径1.5メートルくらいの鉄の輪がぶらさがり、その輪に約20センチ間隔でローソクの芯になる紐がぶら下げられている。その下で原料となるパラフィンワックスを溶かし、輪を回しながら紐にパラフィンの液体を注ぎかける。ぐるっと一周した頃には紐にくっついた透明なパラフィンは冷めて白く変色しすでに固まっている。その上からまたかける。それを何度も繰り返し、蝋をだんだん厚くしていく。

ただそれだけのことだ。和蝋燭作りをかつて、愛媛県の内子町で見たことがある。あの職人技に比べると、ここの蝋燭作りは材料さえあれば素人でもすぐできそうなくらい簡単だ。しかし、その極めてシンプルな蝋燭作りになぜか感動してしまった。ちょっとした工夫だけの単純さが何ともいい。

結構注文があるとのことだ。
我々に見せるために急きょ用意されたもので、この写真ではひもの数は少ない。

2009年12月13日 (日)

第25号 コーヒー

ペドロの家の食事中の飲み物はコーヒーである。コーヒー以外はお目にかかったことはない。コーヒーの木は庭に植えてある。そこで採ったものを、乾燥させ、いつもはトルティージャを焼く鉄板の上で炒る。黒こげに近いくらい良く炒っている。もちろん豆の選別なんかしない。炒った豆は、やっぱりトルティージャのトウモロコシを挽く石の台の上で石のすりこぎで挽いて粉にする。粉にしたコーヒーをポットに入れ、お湯を注いで火にかける。そして、砂糖を少し加えて出来上がり。濾し器なんかもちろんないから、カップの底の方にはコーヒーのかすが結構残る。
マメにうるさく、焙煎にうるさく、入れ方にうるさいコーヒー通からは、あんなものはコーヒーではないと目をむいて怒られそうだ。コーヒー通ではない僕には結構、これがうまい。

 尚、ネバッホの最初のホームステイ先であるラディーノのアデの家ではコーヒーはすべて、インスタントだった。そのほかの家では、インスタントコーヒーは飲んだことはないが、紅茶・アトル・ジュース・清涼飲料水などコーヒー以外の飲み物にもしばしばお目にかかった。ペドロ家では、飲み物と言えばすべてコーヒーである。

アンティグアのスペイン語教師から聞いた話によると、コーヒーには3種類あるのだそうだ。一つは、コーヒー豆100%のコーヒー。二つ目は、コーヒー豆50%に雑穀50%を混ぜたコーヒー。そして三つ目は、なんと、コーヒー豆0%のコーヒー。すべて、コーヒーという名で市場で売られているとのことである。二番目三番目は、残念ながらまだ試飲していない。是非一度試してみたいものだ。カフェイン抜きのコーヒーも売られているらしい。これはドイツからの逆輸入だという話を聞いた。これも未経験である。

コーヒーはこのように挽きます
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2009年12月 8日 (火)

第24号 マヤ式サウナ「チュ」

グアテマラは暑いと思っている人が多い。確かに緯度的には熱帯気候地域になるのだが、グアテマラを訪れた人はしばしばその涼しさ、場合によっては寒さに驚かされる。あわてて少し厚めの上着を買いに走る人もいる。

それは高度のせいである。首都のグアテマラシティや世界遺産都市アンティグアなどは標高約1500メートルの高原地帯にある。そのせいで、昼間の日差しは確かに強いのだが、熱帯という感じはない。もちろん湿度も低い。とても暮らしやすい気候と言えるだろう。しかし、海岸地域や高度の低い地域に行くともちろん、すごく暑い。当然蚊やその他の虫にも悩まされることとなる。

前置きが長くなったが、さてイシルである。イシル地域も高原地帯である。ネバッホは標高約1900メートルに位置する。コツァルはもう少し低くて、1700メートルだ。

西日本の最高峰の愛媛県にある石鎚山が標高190メートルだから、毎日その石鎚山の上で暮らしているようなものか。

当然、時期にもよるが朝夕はかなり冷える。朝夕はもちろんのこと昼間とて、この地域で水シャワーを浴びたいとは思わない。が、一般家庭にお湯の入る湯船はない。もちろん湯の出るシャワーもない。いや、シャワーすらもない。その寒さの中で体の清潔と温かさを保つものがチュと呼ばれるマヤ式サウナであり、どの家庭にもある。

一般的には土を固めて作った部屋の中で、薪を焚くことで、中に置かれた鉄鍋の水を蒸発させて部屋中を蒸気で満たし、体を温め、その中で体を洗うというものだ。

最初は部屋中に蒸気と煙がこもるが、しばらくして煙がなくなったころに入る。

入口は腰ををかがめて、いや、ひざまずいて這うようにして入るほどの広さで、その入り口を板でふさぐ。広さや内部の施設は各家庭によりいろいろだ。一人はいるのがやっとというのもあれば、3人くらいはゆっくり入れそうなのもある。中には、沸騰したお湯の他に冷水が瓶に入って置かれている。お湯と水とで適当に温度を調節して体を洗い、流す。排水設備は、土の床に溝を掘ってあるだけなのであまり多く流すとあたりに水があふれる。中には中に水道がついたものや、床をコンクリートで固め排水路をきちんとしたのもあるが、そちらはむしろ例外だろう。

初めて入った時は、いったいこれは何だととまどいいぶかったが、誠に快適で、満足にシャワーも浴びられなかった身としては、もう感激していつまでも出たくないほどだった。

家によって異なるが、だいたい週1度から2度くらいは入るようだ。尚、この地方ではホテルもしばしば、チュを備えている。

家の周りにこのようなものを見つけたらそれがチュである。これはかなり貧しい家のもの。
こちらはかなり立派なチュ。水道も付いているし、服をかけるフックもあった。その気になれば4人くらいは同時に入れる。

2009年12月 1日 (火)

第23号 コツァルでの初めての食事

昼食はペドロの家で食べることになった。コデアルテコの事務所から、車では通れないほどの急傾斜道を約15分程度下ったところに水量豊かな川が流れており、その川沿いから少し入ったところに家はあった。家は畑と木々に囲まれている。庭には放し飼いの鶏がえさを探して歩き回っている。

ペドロの母親と兄弟姉妹4人と姉の娘二人が出迎えてくれた。父親と姉の夫は、現金収入を得るために遠くに出稼ぎに行って留守だということだ。紹介が終わるとすぐ昼食をということになった。

家に入るとすぐ寝室があり、暗くてはっきりとは見えなかったが、ベッドが二つ置かれており、その上に使い古された毛布らしきものが無造作に置かれているのが分かった。二つのベッドの間を通り抜け奥に入ったところが台所兼食堂である。2m×4mくらいの細長い部屋の奥にドーニャ・テレサの家と同じような五徳が置かれそ上に鉄板がのっており、トルティージャがのっている。

土の床の上に四角の柱くらいの大きさの木が置かれておりその上に座る。ペドロの妹のリシューが洗面器に入った水を渡してくれ手を洗えという。続いて皿に盛られたフリホーレス(インゲン豆)が配られる。その上にいり卵が少し乗っている。初めての客である僕にはフォークが付いてきたが、もうなじみのステファニーにはついてなく、彼女は家族と同じように手で食べる。トルティージャは壺のような入れ物に入っていて好きなだけ自由にとって食べる。食べ始めてしばらくすると、コーヒーが回ってきた。これが今日の昼食のすべてだ。質素な食事であるが、ここのトルティージャもまた特別美味しい。
 鶏がえさを求めてか部屋に入り込んできては、子供たちに追い出されている。時々犬も顔を出す。

家族の何人かはスペイン語がしゃべれなく、彼ら同士の話は、ときおりペドロが通訳して教えてくれる以外さっぱり分からないが、皆よくしゃべり、和やかな雰囲気である。

ここもまた、ドーニャ・テレサの家と同じく、ネバッホで体験したホームステイ先の家庭とはかなり異質な空間であった。
手に持っているのがトルティージャ奥でお母さんが焼いている。
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