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2009年11月

2009年11月20日 (金)

第22号 ドーニャ・テレサ宅訪問

コデアルテコの成り立ちなどのあらましを一応聞いた後、早速メンバーの一人を訪ねることになった。

坂道を下り、川を渡り、曲がりくねった山道を上ること約30分で山の斜面に建っている土の壁の家に着いた。糸巻きをしていたドーニャ・テレサが手を止め、にこやかに迎えてくれた。

ペドロは言うに及ばず、ステファニーとももうなじみの様子で楽しそうに語り合っている。テレサの顔は真っ黒に日焼けし、しわが刻みこまれているが、眼は涼しげで笑みをたたえている。コーヒーを入れてもらった。コーヒー滓を濾していないざらついた感じの舌触りだがまずくはない。砂糖もあらかじめ入っている。

彼女はコデアルテコグループ随一の織り手で、グループの中では稼ぎ頭であるが、でもその額は知れている。その額をペドロからさっき聞いたばかりである。だとすれば、客にもてなすコーヒー代だってそうばかにはならないはずだ。そう思いながらも、善意を嬉しく頂いた。

家は、基礎から屋根に至るまですべて自分一人で作ったのだという。材料運びだけでもどれだけ大変だったことだろう。家はできて、雨露はしのげるし、電気もきているのだが水汲み場は近くにはない。坂道を300メートルくらい下ったところに川が流れており、そこから汲んでくるのだという。コーヒーだけでなく水もまた大変な貴重品であった。洗濯はその川でして、濡れて重くなった洗濯物をまた持ち帰らねばならない。

台所にはわずかの食器が並び、瓶に入った水が置いてあるほか、床にじかに置かれた五徳がかまどの役を果たすほかは何もないと言っていい。

これまでみてきたイシルの家族の家とはあまりにも違う。そこらにいくらでもある家の内部の一つに過ぎないのだろうが、実際に人の息遣いの聞こえる家として、内部からその実情を見たことは小さなショックであった。

後でペドロから聞いたところによると、彼女は随分と苦労の多い人生を歩んできたということだが、その表情はとても穏やかだった。一人暮らしで家族はいない。
糸巻きをするテレサ。家は柱運びも壁塗りもすべて自分だけでしたという。

2009年11月 9日 (月)

第21号 コデアルテコの紹介 下

現在のメンバー32名中の25人
プロジェクト(コデアルテコ)の誕生
戦争によりすべてを失い、生活に困った5人の女性たちによって「コデアルテコ」という名のプロジェクトが産声を上げ、グアテマラ伝統の織り機で製品づくりを開始したのはまだ内戦の最中の1986でした。
1996内戦停止の合意文書が交わされ戦闘は停止しましたが、後には家や畑を失った膨大な数の人たちが収入の当てもなく取り残されました。人々はたちまち生活苦に直面し、日々の食料をうるために懸命に働き始めました。プロジェクトとしても、色彩豊かで変化に富んだ織物製品を作り市場で販売することになりました。そしてそれは、自分達だけでなくその他の苦しんでいる女性達が何とか自立できるように、自分達とともにグループの一員として助けあっていけるようにとの思いのこもった努力でもありました。
数年が経過し、メンバーは15に増えました。グループ運営も何とか軌道に乗り、各メンバーは仕事量に応じて相応の賃金を受け取ることができるようになりました。
1998年頃からこのプロジェクトに参加したという女性の増加が顕著になりました。そして、結構年配の人たちも多く参加するようになりメンバーは30人になりました。と同時に織物の種類も増えてきました。それぞれのメンバーは各自の家で仕事をしています。しかし、グループ活動としての拠点も必要となり、町の市場の裏側に事務所兼売り場を設けました。

プロジェクトの課題

このプロジェクトの第一の目的は、メンバーによって作られたこの地方の伝統的な織物製品の製造販売を通してメンバーの経済的自立を助けることですが、その他のことも考えていかねばなりません。今私たちは、このプロジェクトの民芸品の販売ルートを国内外市場に広げたいと考えています。そして、心ある人たちと連帯し共同体を形作って行くための観光施設の設立も考えています。収入の増加は、プロジェクトメンバーとその家族の社会経済的状況を押し上げてくれるでしょう。プロジェクトに拠出される利益の一部は、共同作業場の建設や新たなメンバーの育成・養成機関設立の資金として使われるでしょう。

将来への夢

夢はたくさんあります。まずは、自分達の腕をもっともっと磨き、組織を強化し、多くの人材を迎え入れ育てていくことです。木が空に向かって成長していくように、私たちも成長していくのです。メンバーの女性達は木の根であり、彼女たちが織り上げる布が幹になるのです。このプロジェクトへの参加を通して、私たちは、木の枝が大きく広がって行くように、未来に広がっていくのです。

次に、土地を手に入れ、そこに建物を建て、建物の中には小さな学校を作ります。その学校では子供達にこの地域の伝統文化と技術を教えていくのです。学校だけでなく、店も作ります。そこでは私たちの作品の展示と販売を行います。そして、そこを訪れてくれる人のための喫茶兼食堂も計画しています。勿論この地方の伝統的な食べ物を提供します。

そしてもう一つの更なる夢は、この地域の伝統的織物や文化が一目で分かるような博物館の建設です。衰退が感じられるこの地域の言語を守り育てて行くことも大切です。そのためには教育者も養成せねばなりません。将来的には、コツァルのみでなく「イシル」全体の文化を守り、新たな情報を発信していく基地としての役割を担っていきたいと考えています。

まだまだ道のりは遠いのですが、いつか必ずこれらの夢がかなう日が来るでしょう。

事務所で材料を受け取り打ち合わせをする

2009年11月 6日 (金)

第20号 コデアルテコの紹介 上

ステファニーはコデアルテコでボランティアをしている。高熱を押して出迎えてくれたペドロは、いわばコデアルテコのマネージャーでグループ唯一の男性だ。

そのコデアルテコとは、スペイン語のComite Desarrollo Artesanal Cotzalenseの頭文字をとったもので、直訳すれば、「コツァル手工芸促進委員会」とでもいうことになるだろうか。

今回は、コデアルテコのホームページからの情報に、ペドロから聞いた話を加えて、コツァルとコデアルテコを2回に分けて紹介しよう。

サン・ファン・コツァル

サン・フアン・コツァルは、グアテマラの北西部のキチェ県のなかのイシル地方と呼ばれる地域にあります。イシル地方は、ネバッホ・チャフール・コツァルから成り立っており、イシル三角地帯とも呼ばれています。住民はイシル語を話し、全体の人口は約7万人です。コツァルは景色の美しいことで知られるクチュマタン山脈の山裾に広がる豊かな自然に囲まれた小都市で、標高1700mに位置し、気温は15度Cから25度C、人口は約2万人です。近くには大きな滝が二つあり、観光名所になっています。

コツァルの町並みは、中央広場を中心として広がっています。広場の前には、内戦をつぶさに見てきた「沈黙の証言者」とでもいうべき美しいカトリック教会が建っています。家々の大部分は伝統的な建物で、日干し煉瓦で出来ており屋根は瓦です。居住地域は、テチュン川を跨いで広がっており、その川では今も女性達が、昔ながらの方法で洗濯している姿を見ることが出来ます。

人々の暮らしと内戦

恵まれた肥沃な土地に囲まれながら、この地の住民はとてもひどい生活状況に喘いでいます。内戦が進むに連れて人々の生活は悪化していきました。その中でも、最も弾圧の激しかったこの「イシル」地域の住民の生活変化は特筆すべきものです。多くの人たちは土地家屋を奪われ、コーヒー農園や砂糖農園で働かざるを得なくなりました。

このような被害を受けた人たちの家族、とりわけ夫を失った女性達や孤児となった人たちの経済的惨状が、このプロジェクト(コデアルテコ)開始の伏線です
コデアルテコの建物屋上から見たコツァル

2009年11月 1日 (日)

第19号 コツァルへ

アデライダ家のホームステイを終えて次の家に移った時、アデライダ家に入れ違いに入ってきたのがステファニーである。20代前半のドイツ人女性で、スペイン語を専攻している大学生だ。スペイン語はグアテマラ人よりうまいくらい?流暢に話す。しばらくボランティアをしようと思って学校を休んできたのだという。

コデアルテコへの橋渡しをしてくれたステファニー

パナハチェルで再会した時は、彼女のアデライダ家滞在はもう3カ月を超えていた。ネバッホの隣の町のコツァルでいいボランティア先が見つかり、1か月ほど前から毎日そこに通っているのだと嬉しそうだった。

民芸品を作っている女性グループの製品販売の手伝いと、幾人かのメンバーに字を教えるのが活動内容だということだ。早速、そのボランティア先に連れて行ってもらうことにした。

コツァルはネバッホから北東へバス30分ほどの所にある人口2万人ほどの小さな町だ。

四方を山に囲まれ、すり鉢状の斜面に家が立ち並んでいる。どこに行くにも坂道は避けられず歩き回るにはつらいが、しっとりと落ち着いたたたずまいである。

そのコツァルのバスの発着点であり、町の中心地である教会から2ブロック裏の通りにあるピンク色の、ちょっと目立つけれども、決して立派とはいえない3階建ての建物がステファニーの勤め先だ。「特産織物・コデアルテコ」という看板がかかっている。

ペドロという名の20歳くらいの男性が出迎えてくれた。声がかすれていて、どうも元気がない。よく聞くと昨日まで40度近い熱があって寝ていたが、今日は日本からの客があるとステファニーから連絡を受けて、無理をして出て来てくれたらしい。

コデアルテコとの出会いである。

コデアルテコの事務所兼縫製場兼、、展示場

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