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2009年10月

2009年10月25日 (日)

第18号 ネバッホ再訪

6週間をネバッホで過ごした後、ビザ更新のために週間ホンジュラスに行った。

グアテマラは、日本人の場合、3カ月間はビザなしで滞在できる。3カ月過ぎると延長ビザを取らなくてはならない。そのもっとも簡単な方法は72時間以上隣の国に出て、再入国することだ。するとまた3カ月間滞在できる。いまは、グアテマラ・エルサルバドル・ニカラグア・ホンジュラスの4カ国で協定ができ、4カ国合計で3カ月ビザなしで滞在できることに変わり、それらの国に出国してもビザ更新にはならないが、2006年6月当時はまだ可能だった。

そのホンジュラスから帰ってきて、しばらくアンティグアで過ごした後、世界一きれいな湖と言われるアティトゥラン湖畔の町パナハチェルを訪ねた。

到着した当日、宿を探しながらうろうろしていた時のことだ。ソージ、ソージと呼ぶ声が聞こえる。ソージとは僕の名前だ。こんなところに知り合いはいないはずだが、といぶかしがりながら声の方を振り向くと、レストランのテラスから5人の女性が手を振っている。顔を見て、確かに知り合いであるとは確認できたが、それがだれであるのかを思い出すには少し時間がかかった。そのくらい思いがけなかった。

それは、ネバッホでの初めてのホームステイ先であるアデライダファミリーの父親を除く全員と現在の投宿人であるステファニーだった。思いがけない再会であった。1泊で遊びに来てその日の午後には帰るという。

これも何かの縁と、結局パナハチェルには数時間滞在しただけで、彼らと一緒にネバッホへと向かった。バスを2回乗り継いで約4時間の行程である。

4か月前初めて訪れたときの込み具合がうそのようにバスにはゆとりがあった。変わりゆく美しい景色をゆっくりと楽しむことができた。時間通りにバスはネバッホのターミナルにすべりこんだ。古里に帰ってきたような安堵感があった。

誰が決めたのか、世界一美しいと言われる湖、アティトゥラン。パナハチェルはアティトゥラン観光の基地の町だ。

2009年10月19日 (月)

第17号 もう馬には乗りたくない

これはホンジュラスで乗った時の写真。少し小形の馬だった。

気分転換に馬に乗ってみたくなった。エル・デスカンソーのそばに「パブロズツアー」という旅行代理店がありそこでは乗馬ツアーも扱っている。2時間コース・3時間コース・半日コース・一日コースとある。3時間コースを選んだ。

馬に乗るのは3回目だ。初めて乗ったのは、コスタリカのモンテベルデという有名な観光地だった。2003年、55才の時である。

初めての時はなんせ緊張していた。乗る前に、初めてだからと何度も念をおした。大丈夫大丈夫と、多少足の悪い馬主がうなずいた。教えてもらったのは、馬の名前と、右、左と言うガイドの指示の言葉を聞いた時のたずなの締め方だけだ。正直なところ、最初は誰かが前でたずなを引いてくれるのだとばかり思っていた。

しかし、馬は、100m程平地を進んだ後、いきなり森の中の狭い、しかも雨上がりでぬかるんだ坂道を歩き出した。ガイドは前ではなく後ろからついてくる。ずるんと滑って馬も時折よろける程の道だ。しかも、左右には木々が張り出し時折足にあたる。頭上の枝にはいつ首をガクンと挟まれるか分からない。上りだと後ろに仰け反って落ちそうになり、下り坂だと前のめりでこれまた落ちそうになる。下りで馬が顔を下にでも向けたらもう最悪だ。雨が今にも降りそうな森の中はくらい。

約3時間のコースだ。最初の30分間は恐くてたまらなかった。もうやめると何度も声に出かかった。しかし、最初のショックが大きすぎってかえって良かったのかも知れない。終盤に入ると少々のことはなんとも思わなくなった。森を歩き、とうもろこし畑を過ぎ、牧場を横切り、途中猿と遊び駆け足も少しは楽しめるようになった。過ぎてみればなんとも楽しい3時間であった。少し自信がついた。

2度目はお隣のホンジュラスのマヤ遺跡で有名なコパンというところで乗った。その時は、川沿いの平地をただパカパカと歩いただけでどうということはなかった。

そして今回が3度目である。

馬や牛が悠然と草を食む牧場を横目に見ながら、やわらかな日差しの中で僕はご機嫌だった。時折農作業をする人を遠くに見るだけで、聞こえてくるのは小鳥の鳴き声と馬の歩く音、そして時々話かけてくるガイドの話声だけだ。大自然の中に溶け込んだようで、なんだか誇らしくもあった。

15分ほど経過したところで鐙の不具合に気付いた。先の方がつぶれており足がうまくはいらないのだ。最初のうちは特に気にならなかったが、時間の経過とともに無視できなくなってきた。少し動くと足が抜ける。抜けないようにするために全神経を集中しなくてはならなくなった。最初はその右足だけ少し力を入れていれば済んだ。しかしそのうち全身に力が入るようになり、移動2~3分毎に足がつるような硬直感に包まれた。

もう景色を楽しむどころではない。引き返すにもかなり遠くまで来ていて、歩いて帰るのは時間がかかりすぎる。泣きたかった。

何とかだましだまし、帰りついたときは、3時間の予定が大きく時間をオーバーし5時間を経過していた。

鐙の不具合でなんでこんなとこまでと言うほど、肩から首から背中からそれは全身が硬直し痛みがひどかった。

それにしても、なぜガイドの馬とあるいは鐙だけでも交換しようという事が思い浮かばなかったのか、ガイドの方もなぜそれを提案してくれなかったのか、思い起こすと腹が立つ。しかしその時は何ともうかつで、そのことに全く思いが及ばなかった。

もう馬には乗りたくないと思った。全身の痛みは1週間も続いた

2009年10月13日 (火)

第16号 イシル家庭のホームステイを通じて

アデライダ家へのホームステイは1週間のみの予定だった。しかし、居心地がよくてついつい3週間も滞在した。アデライダ家を出るに先立ち、次はイシルの家庭にホームステイする予定だと何人かに告げた。理解を示し賛成してくれたのはスペイン語教師のウーゴだけで後のラディーノは一様に反対した。もっとも皆といってもそう知り合いがたくさんいるわけではなく3人だけだが。

反対の理由は次のようなものであった。1)食事が内容が違いすぎて耐えられないだろう。2)とても不潔である。3)家族と一緒に床に寝ることになる。4)犬やニワトリも同じ部屋に住んでいる。5)子供の教育に問題があり、しばしば勝手にものを使ったり借りた物を返さなかったりする。云々。

よし、どんなにひどいものか見てやろう。望むところだ、と勢い込んで家を変わった。

しかし、ペドロとマリアの家では全くそんなことはなかった。湯の出るシャワーはなかったが、その代わり快適なチュウ(マヤ式サウナ)がある。トイレには水を流す装置はなかったが、バケツ一杯の水を流せばそれで済む。洗濯場と炊事場と洗面台が同じなのにはちょっと驚いたが、それもどうということはない。洗面器でうがいをしていたのはちょっとなじめなかったが、僕にもそうせよというわけではない。大きなベッドが、少なくとも僕のためには用意されており、部屋も広い。床はタイルだ。食事は結構バラエティがあり、いつも同じものばかりということもないし、違和感のあるものも出てはこない。要するに、何も特別変わったことなどありはしない。ホームステイを受け入れるほどの余裕のある家の特別待遇と言えないでもないが、しかし、最初に指摘されたことのいずれも当たってはいない。

ここは特別なのかもしれない。そう思い家族を変えてみた。ニラとメークの家だ。今度はよりイシルであった。家は古く、僕の部屋は、普段は息子が使っているらしく、整理ダンスはあったが最上段一つだけを使うよう指示された。部屋は暗く、日光は全く入らないためじめついた感じがあるが床は一応コンクリートだ。台所にはレンジはなく、伝統的な薪のかまどで煮物焼き物何でもできる。トイレは水洗でお湯のシャワーもある。シャワーの他にチュウもある。

もちろん僕が日本でしている生活との相違点は山ほどある。しかし、文化が違えば生活様式も違うのは当たり前のことだ。その違いの他に、ラディーノが忠告してくれたような問題は何もなかった。食事内容は大いに違ったが、それでどうということはない。当たり前のことだ。床に寝ることも鶏と寝ることもなく、子供たちはとても遠慮深く、僕の荷物を勝手に触ることはなかったし、不潔ということもない。もっとも、清潔の概念は我々とだいぶ違うが・・。

ラディーノ達はイシルの人たちとの接触はあまりなく、伝聞を基にした偏見で彼らを見ているのではないか、とそう思った。

その後、もっと田舎で、もっと多くの原住民と知り合い、僕の考えもいろいろ変ってゆくのだが、その時の僕の正直な感想だ。

最初のホームステイ先の子供たち。よく躾がいきとどいていた。
ネバッホの女性のコルテと呼ばれるスカート。イシルの女性は、上はTシャツを着ていても下は必ずコルテを身につけている。
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2009年10月 9日 (金)

第15号 犬と夜のトイレ  

民族衣装で正装した3番目のホスト夫妻。子供9人。孫はたくさんたくさん。

日本ではそんなことはないのだが、グアテマラにいるとなぜか夜のトイレ間隔が短くなる。大概は1回だが、多い時は3回も小便のために目覚めることがある。理由はいまだによくわからない。

ネバッホでの3件目のホームステイ先での初めての夜、例によって夜中に尿意を催して眼が覚め、トイレに行った。帰る時、あたりは真っ暗でよく見えなかったが、動物が僕のそばを通り抜ける気配がした。犬だなと思った。ここらではほとんどの家が犬を飼っており別に気にも留めなかった。

あくる日、この家のおかみさんがさりげなく、「昨日言うのを忘れていたけど、夜8時を過ぎたらトイレには行かないでね」と言った。昼間は犬小屋に入れてある犬を、夜は家の用心と犬の運動のために放すというのである。「うちの犬は獰猛で、つい先日も家に来た人に咬みついて大騒ぎになったのよ」と付け加えた。

そういえば、ここらでは普通犬は放し飼いで、屋敷の内外を出入りしていて野良と飼い犬の区別がつかないことが多いのだが、ここの犬は小屋に入っていた。

「あのー、僕は必ず夜中に1回はトイレに行くんですけど・・」

「その時は私を起こしてちょうだい」

「夜中の2時や3時ごろ行くこともあるんですが・・」

「たとえ2時でも3時でも、遠慮要らないからいつでも起こしてね」

でも、いくら言われてもまさか、60歳近いおっさんが、夜中に「おしっこ」と言って人を起こすわけにもいくまい。かといって犬に咬まれるのもいやだしなー。よし、今のうちに犬を手なずけておこう。現に昨夜横を通ったのに咬まれることはなかったのだから、と裏庭にいる犬のところへ急いだ。

裏庭は結構広く、トウモロコシと野菜が植わっていたし、約20羽ばかりの鶏小屋と、豚小屋と、そして犬小屋があった。

犬小屋の前に立ち、精いっぱいの笑顔を作ってあいさつしたが、通じなかった。うーと低く唸って僕を睨みつけ、もう一度今度は少し大きな声で唸った。攻撃態勢だ。僕はもともと犬はあまり得意な方ではない。昨夜何もなかったのは幸運としか言いようがないような気がしてきた。こりゃだめだとあきらめた。

そのまま市場に走り洗面器を買った。以後1週間その洗面器が僕のオマルの役割を果たした。

それ以外は、ここでのホームステイは誠に快適であった。

かまどの上にかかっていた豚の足。煙にいぶされて食べごろになる右の写真の豚とは無関係

裏庭に家に飼われていた豚。豚を飼っている家は多い。子供の時市場で買ってきて大きくして、買った値段の10倍で売るという。

2009年10月 7日 (水)

第14号 織物

多くのマヤの女性たちは暇さえあれば織物をしていると言っても過言ではあるまい。道を歩いていても庭先で織物をしている人たちを探すのに苦労はいらない。

マヤの織物は、腰機とよばれる誠に原始的というか簡単な道具で織りだされる。持ち運びも簡単で、先を引っ掛ける場所さえあればどこにでもすることができる。だが道具の簡単さとは裏腹に織りだされる模様は誠に複雑で美しい。

織っている様子を間近でじっくり見たのは2番目のホームステイ先だった。織るというよりも、経糸の間に糸を通して模様を作り上げていくその糸通し作業にとにかく時間がかかる。気が遠くなるほどの作業だ。模様はすべて頭に入っているらしく、なにを見るでもなく、驚異的な正確さとスピードで織りあげていく。ただただ見とれるばかりだった。

見てください。この複雑な織物。この模様作りを何も見ずにたったったーと仕上げていきます。

ホームステイ先の織り手であるマリアは昼間は学校の教師をし、学校が終えてから自由な時間はいつも織物をしている。織った製品は自分の家で使うものを除けば、日曜市で売っているという。その時は女性用の上着のウイピルを織っていた。値段などを聞いてみた。

できれば1200ケツァルでは売りたいという。日本円にして18千円ほどだ。出来上がるまでに、1日に3時間程度織物に費やすとして約6カ月から7カ月はかかるという。18千円という値段は、この地方の人々の収入を考えると、決して安い値段ではない。いや、とても高い。

原料費を差し引いて日当いくらになるのか計算してみた。結果、1日当たり約3ケツァル、時間当たり1ケツァル(約15円 2006年当時)ということになった。

この地方の平均収入からしてみれば、1200ケツァルはとても高い値段だが、労働収入面からみると、とてつもなく安い値段となる。

以後、それまでは何の気なく眺めていた織物風景が僕にとっては別の意味合いを帯びてきた。値切る気もしなくなった。
腰機で布を織る女性(コツァル)

ネバッホのウイピルとシンタ。向かって右肩にかかっているのはレボッソと呼ばれる万能布

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