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2009年9月

2009年9月19日 (土)

第13号 ユミ

彼女に初めて会ったのはアンティグアのホームステイ先の食堂だった。たどたどしい日本語でユミだと名乗った。若い韓国人女性だ。年齢を聞くと20歳だと答えたが、実際は18歳だった。大人に見せたかったようだ。スペイン語は全く話せない。英語が流暢なわけでもない。おまけにグアテマラについての知識がほとんどない。案内書の一つも持っているわけではない。かといって旅慣れているようでもない。なんせ、高校を出たばかりなのである。キューバに行く前哨戦としてスペイン語を学びにグアテマラに来たのだと言った。

よくここまで無事たどり着けたなーと驚いたり感心したり。

結局1ヵ月半余りを同じ屋根の下で過ごした。同じアジアのお隣同士ということもあって、よく話をしたしよく飲みにも行った。18歳だというのに結構飲みなれていて酒も強かった。18歳の少女と60歳のおじさんの組み合わせは奇妙に見えたかもしれない。ホームステイ先の女主人のカロリーナからは、「gato viejo y raton tierna」とよくからかわれた。文字通り訳せば「老いたオス猫と若い雌ネズミ」だが・・・。

よくここまで無事でたどり着いたなというのが僕の最初の感想だと書いたが、ここにたどり着くまでは平たんではなかったようだ。それはそうだろう。若く、旅慣れてなく、スペイン語もしゃべれない女性が最初の宿も決めず、夜遅くグアテマラ空港に着くこと自体が、この地方の治安を考えると異常なことなのだ。嫌な思い出ばかりで、2度とグアテマラシティには行きたくないと言ったが、具体的には語らなかった。よほど嫌な体験をしたことがうががわれた。

1ヵ月半で、僕から見れば驚異的な速さでスペイン語の日常会話力をつけて、彼女は次の目的地を目指して去って行った。

そのユミがネバッホに現れた。次はネバッホに行くと言っていた僕の言葉を覚えていて、訪ねてきたらしい。アンティグア以後が楽しい旅でなかったことはすぐ読み取れた。でなかったらわざわざネバッホまで来ることもなかったろう。保護者を求めていたに違いない。

昼間はあたりを散策し、夜は遅くまでエル・デスカンソーのバーで3日間一緒に過ごした。

最初の日はすっかり落ち込んでいるように見えた彼女だが、静かで落ち着いたネバッホがとても気に入ったようだ。3日ほどですっかり元気になり、4日目にはあの落ち込みがうそのように晴れ晴れとした顔をして東のコバンに向けて旅立って行った。

落ち込んだ後の立ち直りの速さを考えると、僕が感じるより図太いに違いないとは思ったが、今後が気になる旅立ちであった。

はたして、2日後に「パスポートや財布を含む貴重品入れをなくしてしまった。泊っていた宿に落ちていないだろうか。探してみてほしい」というメールが入った。どこかで盗まれたに違いないと思ったが、一応宿の管理人にもわけを話してゴミ箱まで探してもらった。もちろん出てはこない。

それから3日後、「グアテマラシティにいてパスポートの再発行待ちです。あれほど来たくなかった都市の、しかも汚く薄暗いホテルで過ごしています。」とさびしげなメールが来た。

さらに1週間後、「もうグアテマラの旅はは続けられないと思い、韓国の自宅に帰ってきました。少し落ち着いたところです。もう少し休憩をして次の旅をまた考えたいと思います。」との連絡があった。懲りてないらしい。

彼女の旅は無謀の旅であり、もう少し計画と準備が必要だったことは明らかだ。それゆえにとん挫した。だが、僕にも、僕の子供たちにも絶対出来ないような、そんな無謀な彼女の行動力に脱帽!でも、同じことはもうするなよ、な。

イシル地方で一番落ち着くと旅行者には人気の高いエル・デスカンソーのレストラン兼バー。
現地人が集まるカンティーナと呼ばれる居酒屋は、男ばかりでしかもやかましく、ゆっくり話などできないが、ここは本当に居心地がいい。従業員も親切だ。

2009年9月12日 (土)

第12号 エバンへリコ

絶叫礼拝

部屋で寝ていたら、下のほうがえらくにぎやかで目が覚めた。異様な声が聞こえる。源はどうも居間のようだ。そっと覗いてみた。15人程度の人が集まって、目をつむり叫びまわっている。長男がいたのでいったいどうしたことだと聞いた。宗教的な集まりで、今お祈りをしているのだという返事が返ってきた。しかし、どう見ても考えても祈りには見えない。これは叫びだ。祈りとは普通心の中で静かに行うものではないのか?これが祈りだとしたら祈りの定義を変えなくてはならぬ。

後でペドロに聞いたら、あれは祈りではなく、祈りの後で各自の思いを吐き出す時間であったとのことだ。なにはともあれ僕には集団催眠的陶酔状態に見えた。

エバンヘリコの1派らしいが、この宗派はまだ教会を持っておらず、持ち回りで礼拝をしているらしい。今日はその番がこの家に回ってきたというわけだ。

最初から参加していたわけではなく、大音響がとどろき始めてからのぞいただけなので全体の様子は把握できないが、違和感のある集いではあった。

これほどひどくはないが、大音響のマイクを外に向けてがなりたてているエバンへリコ教会は良く見る。静かに粛々と行われる礼拝というイメージは全くない。僕にとっては大迷惑な騒音以外の何物でもないが、文句を言う人は見たことがない。

エバンへリコとは、厳密にいえばいろいろあるらしいが、ごく一般的にいえば、非カトリックのキリスト教というくらいの意味だ。かつてのカトリック王国にいまエバンへリコが猛烈に食い込もうとしている。この地域ではすでに過半数はエバンへリコだという話も聞いた。


もう一つの礼拝

エバンへリコの礼拝に出る機会がもう一度あった。家族中が熱心な信者である知人に連れられて参加した。入口に牧師が立ち、入ってくる一人ひとりと握手している。全員揃ったところで、今日初めての参加者何人かが皆に紹介された。驚いたことに僕もその中の一人に入っていた。立ち上がって一礼をした。うなずきながら多くの人が僕に注目した。周りの人が握手を求めてきた。とても温かい雰囲気だ。そんな家庭的な雰囲気が増加信者の一因かもしれないなと、ふと思った。

やがて礼拝が始まり、牧師が語り始めた。静かな進行だ。が、説教が終わり祈りが始まったころから少しずつ雰囲気が変わってきた。最初うつむき加減にぶつぶつと唱えていた人々の祈り声が次第に大きくなり始める。やがて何人かの手が大きく広げられ天に向かって叫び始める。体の位置が少しずつ動き始め、横を向いたり後ろ向きの人もいる。この状態が何分間か続きやがて静かになった。絶叫には至らなかった。興奮の余韻を残したまま23の歌がうたわれお開きとなった。

この会は、もちろんペドロの家でみた集会とは趣を異にしていたし、よく街中の教会のマイクから流れてくる絶叫調とも違った。話されていた内容は、もちろん理解できなかった。しかし、違和感はぬぐえなかった。


尚、カトリック教会は各地に一つだが、エバンへリコに関しては、各教派が覇を競い乱立している。ネバッホに関して言えば、その数は僕が知るだけでゆうに20を超える。

カトリック教会の前で行われる祭りの催し物見物に集まった人々

2009年9月 5日 (土)

第11号 ホームステイ2 イシルの家庭へ

住まい

せっかくマヤ原住民(イシル)が70%以上をしめるというこの地まで来てラディーノの家庭だけ見て帰ったのではつまらない。エル・デスカンソーに頼んでイシルの家庭を紹介してもらった。夫婦の名前をそのままとって、ペドロとマリアの家と呼ばれている家庭だ。これまで住んでいたアデライダの家とは中央公園を挟んで反対側にある。中央公園から6~7分の距離だ。

ベルを鳴らすと中から小さな覗き窓が開いて、来客者を確認した後、鉄の戸が開き30代後半と思われるペドロが迎えてくれた。

中に入ると、そこはいきなり居間でステレオとソファが置かれている。壁にはいろいろな写真が飾ってある。窓はなくて薄暗いが広さはかなりゆとりがある。居間を通り抜けて奥に進むと右側に寝室があり、さらにその奥にちょっとした空間と食堂兼台所がある。テレビはその空間におかれている。寝室にはベッドが二つあり、そこに家族5人が寝るとのことだ。夫婦と男の子ばかり3人の5人家族である。子供は14歳、10歳と4歳である。

トイレには水が常に少量流れているが、用を足した後は水を汲んできて流す必要がある。流しの横に階段があり、その階段を上ると屋上なのだが、屋上の一角に後付けと思しき部屋がある。それが僕の使用する部屋だ。ベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋だが結構広い。シャワーはないが部屋を通り抜けたところにチュウと呼ばれるサウナがある。二日ごとに利用できるとのことだ。これはありがたい。

マリアと4歳の末っ子。マリアは織物が大好きで暇を見つけては織っていた。

食事

今回は朝と夜の2回の食事つきという条件だ。朝食は基本的にはトルティージャとフリホーレスと卵で、紅茶かコーヒーがつく。夜は、肉の揚げ物か煮物、焼きそば、焼き飯、ソーセージなどがつく。メニューは結構変化があったが、昼が主で夜は簡単にすますここらの食習慣から考えると、僕のための特別食という感じもする。

朝食はいつも僕とペドロの二人で食べた。妻のマリアは教師をしており朝早く出かけるため、僕が起きた時はもういない。子供たちも母親と一緒に食べるのかいつも朝食はすんでいる。

夕食はいつも僕一人だ。一度だけ母親の誕生日だということで皆と一緒に食べた。それ以外は、僕が一緒に食べなかったのみでなく、彼ら家族が皆でそろって食事をしている風景も見たことがない。皆が一緒に食べるということにも、食事内容にもさほど重きを置いている様子はなかった。三々五々、トルティージャをつまみ、おかずをちょっと持ってはテレビを見ながら食べるという感じだ。一同に会して食べるためのテーブルもない。

マリアは時間さえあればテレビ前で織物をしている。ペドロは良く出かけて夜は留守がちだ。子供たちはテレビを見たり寝そべったりお母さんにまとわりついたりしている。

夫婦も子供たちもみなよく気を遣ってくれ、いい人たちだったが、会話は思うようにはずまず、興味の対象が違うようで、気まずくはなかったが、時間はもてあまし気味であった。
炊事も洗濯も洗顔もすべてここでおこなわれる。オールマイティの水場。

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