2017年5月29日 (月)

第266号 ある旅行者

初老のアメリカ人らしき男性が、町の土産物売りと思しき母子をレストランに呼び入れ、盛んに何か話をしている。母子の足元には、彼女らの売り物である民芸品が風呂敷に包まれた状態で、ドカンと置いてある。彼はビールを飲んでいる。彼女たちにはピザを注文した。コーヒーとオルチャータという飲み物もきた。どうも男性は母子のうちの子供の方から片言のスペイン語を習っているようだ。

そんな様子を見て、3ー4人の売り子たちが寄って来て珍しそうに、また羨ましそうに覗き込んでいる。やがて、その男が新たに来た女の子たちに腹がへっているかどうか聞いた。女の子たちは大きな声でシー(はい!)と答えた。彼は彼女らのためにもピザを注文した。ピザが来ると、皆嬉しそうに、しかし静かに食べていた。

そんな彼らの様子を見ながら、僕は、自分のところに来る売り手たちには、「いらないよ」を繰り返し、一人で食事をほおばった。
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写真と文は関係ありません


2017年5月22日 (月)

第265号 大道薬売り

道や広場で大勢の人が集まり丸い輪ができていたら、大概物売りだ。中でも薬売りが圧倒的に多い。

今日もキチェの公園前で人の輪を見つけた。生の木の葉を幾つか地面に並べ、弁舌爽やかに口上を述べている。今回は塗り薬売りらしい。

恐らく世の東西を問わずだと思うが、売り手は誠に口の滑りがいい。僕がが子供の頃は、お祭りなどでこんな光景をよくみた。嘘八百の口上に騙されて幾つかものを買った記憶もある。

目の前で売られている薬が如何なるものかはわからないが、結構よく売れている。年がら年中お祭りだ、という雰囲気のこの場所にはよく似合う光景ではある。
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2017年5月13日 (土)

第264号 マゲイの季節

写真は、コツァルの市場の横の坂道での光景だ。長さ50センチ程度のマゲイ(リュウゼツラン)の繊維の束を肩にかけた女性が、器用に繊維を繋ぎながら糸を伸ばしていく。一方では他の女性がグルグルと繋がった繊維を機械で回している。もう一人女性が紐を引っ張っているのだが、この人の役割は何かよくわからない。が、とにかく、一人が繊維をつなぎ、もう一人がそれをうまく回しながらよりこんでいくことで、見る見るうちにマゲイの紐ができあがっていく。こんな光景をコツァルのあちこちで見かけた。端と端は50m以上に及ぶこともある。ほとんど全ては、この紐をより合わせたハンモックに変わるのだそうだ。ペドロの家にもこのマゲイのハンモックが二つかかっていた。
マゲイとはリュウゼツランのことで、その強い強い繊維を利用していろいろなものに加工されていたようだ。メキシコ南部での栽培が盛んで、化学繊維ができるまでは、用途が広くこれで財をなした人も多かったと聞く。今は昔日の面影はなく、ほそぼそとハンモックや目の荒いバッグになる程度かな。リュウゼツランの葉が紐になる過程は大変なものだと思うが、きっと安値で買い叩かれるのだろうな。
この季節にこの地に来るのは久しぶりなのだが、マゲイをなう光景は何回も見た記憶がある。マゲイの季節と表題に書いたが、別にこの季節に限ったことではないのかもしれない。
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2017年5月 5日 (金)

第263号 リシュー

知り合いのリシューが昨年再婚していた。もう6ー7年も前になるだろうか。元ヤクザだった彼女の前夫はヤクザ同士の内紛に巻き込まれ射殺された。その時妊娠していた彼女は心痛が重なり流産した。流産後の体調が優れず、というかかなり悪く、しばらく入院していた。退院はしたが、体調が回復したからではなく経済的理由からだった。その頃の彼女は痩せ細り、いかにも弱々しい感じだった。長くはないのではないかと思ったほどだ。
その彼女がすっかり元気になり再婚した。教会で立派な結婚式もあげたという。表情も明るい。その彼女の夫は今コーヒー摘みの出稼ぎに出かけているという。普段は山に行って、少しばかりの畑を耕したり、マキ作りをしているとのことだ。それだけでは生活できず、出稼ぎに出かけているらしいが、コーヒー摘みの出稼ぎ報酬が絶望的に安いことは何度も聞いている。それでも出かけざるを得ないリシューの夫を思い、リシューのことを思う。多くをとは言わない。日々の食事に困ることなく、将来子供ができた時の教育費くらいの現金収入があり、出稼ぎに出かける必要もなく家族が一緒に生活できる日のくることを望んでやまない。
男も女もこの地では仕事がない。それが問題だ。コツァルでの話である。
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こんな田舎町のどこに?と思うけどマラスと呼ばれるチンピラ集団が複数いたようだ。今はすっかり影を潜めているらしいが、それも軍隊が常駐して睨みを聞かせているからだと言う。マラスは困るけど、軍隊による治安維持にも不安を抱く住民も少なからずいるらしい。

2017年4月28日 (金)

第262号 地鶏のスープ

今日の昼はカルド デ ガジーナ(鶏のスープ)だと、昨日ペドロから言われていた。午前中僕がコツァル町をウロウロしている間に、ペドロの母は市場に鶏を買いに行き、それをさばいてスープを作っていたに違いない。市場に行けばブロイラーのさばいた肉はいくらでも売っているが、なぜか地鶏は生きたままで売買される。何かことあれば地鶏のスープを作るのは一般的なのだが、日常食ではなく、いわば晴れの食物で、誕生日などのお祝いの時によく出てくる。生きたままを買ってきて直前にさばく。だから、この辺りでは小さな子供も鶏のさばき方をちゃんと心得ている。今日は、ひょっとすると、日本からの客のために作ってくれたのかもしれない。そう思うとありがたい。肉の他に人参・キャベツ・チャーテー(隼人瓜)が入っている。味は何故かコンソメ風で日本人好みの味付けだ。肉は少し固いけど味が深く実にうまい。入っている肉の量も僕の皿が断然多かったような気がする。

地鶏肉の値段だが、1ポンド(約450g)あたり500円程度するらしい。決して安い値段ではない。ちなみに、ブロイラーだと、同じ重量で、180円程度だという。
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鶏の写真がなかったので豚で代用? これは、チチカステナンゴウの豚の市の写真

2017年4月18日 (火)

第261号 食堂はどこだ

前回はコツァルの宿について書いた。今回は食堂だ。宿同様に食堂もコツァルでは入ったことがなかった。いつも何処かの家でごちそうになっており、食堂に入る必要がなかったからだ。どこに食堂があるのかも知らなかった。今回、コツァル訪問13年目にして始めて食堂を探した。数は極めて少ないようだ。本当はもう少しはあるのだろうが、町の中心部で僕が探した限りでは4箇所しか見つけられなかった。しかも、外からみてここが食堂だとわかる場所はほとんどない。というか、一つもない。どこも中はくらい。メニュー表などはもちろんない。聞けば今日あるものを口早に教えてくれるが、大抵は何回か聞き返さなければ理解できない。メニューの数も極めて限られている。
コツァルにはこれといった観光資源はない。何処かの企業があるわけでもない。大きなコーヒー農園が一つ有るが、コツァルの町とはほとんど関係なく、コーヒー園関係者がコツァルに金を落とすこともないようだ。要するに外部の人がやってくる環境ではないわけだ。よそ者などはほとんどいない。だから皆食事は基本的には家でとる。食堂を利用する人がいたとしても、それはだいたい,警察官であったり、家が遠くて食事時間に家に帰れない人などの地域内の人々だ。当然食堂は少ないし、ここが食堂であると外部に向かって強く主張する必要もない。従って看板もない。そういうことのようだ。
10ケツァルから15ケツァルと値段は極めて安いのだが、ここで一人で食べる食事は限りなくわびしい。
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中に入ると,こんなところが食堂だったりする。ここは違うけどね。

2017年4月13日 (木)

第260号 コツァルの宿

コツァルへはほぼ毎年行くが、まだ宿に泊まったことはない。泊まる時は何時もペドロの家に寄せてもらう。でなければ隣の町のネバフに宿をとりそこから毎日コツァルに通う。というのもこれまでずっとコツァルには宿は一つしかなく、しかもその宿は汚いと思い込んでいたからだ。もう10年以上も前にちらっと聞いた情報をそのまま信じ続けていた。同じような規模の隣町のチャフルには幾つも宿があるのに、なぜコツァルには宿がないのか不思議だった。
今回(これは2015年の話)改めてペドロに聞いてみると、コツァルにも宿は5つか6つはあると言う。わざわざ金を出して宿に泊まるならなぜうちに来ないと誘われたが、今回は宿に泊まることにした。ここがいいだろうとペドロに勧められた宿は、きれいだった。部屋も広いし、値段は50ケツァルと安い。その宿に即決である。一番高い宿の値段は100ケツァルだそうだ。えー、こんな田舎で100ケツもする宿があるのと驚いたが、よくよく計算してみれば、日本円にして1500円ほどだからさほど驚くこともないか。
50ケツァルの宿はしかしお湯が出なかった。申し訳程度のお湯しかでなかったと言うべきか。想像以上に寒くて、ほとんど水状態のシャワーを浴びるわけにはいかなかった。この時期のコツァルは久しぶりだったため、夜の寒さはとうに忘れていたが、念のためにと持ってきていた長袖シャツとパッチが役立った。体を丸めて寝た。朝はさらに寒かった。羽毛ジャケットを取り出してはおった。そんなに寒いにもかかわらず、あるいは寒かったからこそ、ノミかダニかは知らぬが僕の肌に接触を試みたようだ。
明くる日から激しい痒さにみまわれた。
100ケルァルの宿に泊まったわけではないので比較はできないが、安いと思った50ケツァルにはそれなりの理由はあった。しかし、宿の問題点ではなく、今回はコツァルにも幾つかの宿はあるのだという報告である。

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2017年4月 8日 (土)

メルセイ教会は泣いている。

去年の2月からブログを更新していない。グアテマラでの出来事を思い出しながら、時系列無視の独断的グアテマラ記を再開しよう。

写真は、アンティグアのラ・メルセイ教会である。いく体もの聖人像がみえる。
だが、聖人像の一つ一つを見るとなんだかあちこちが薄汚れている。さらに目を凝らすと,何と汚れの原因はハトの糞だ。聖人の体に向けて,とりわけ顔に向けて糞をするな。掃除するたって簡単にはいかないんだからね。なんと罰当たりな平和の使者どもであることか。Image


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2016年2月 2日 (火)

第258号 チチカステナンゴ

11月1日の使者の日にチチカステナンゴの市へ行った。どえらい人出で前に進むのも難しい。死者の日の墓参りのための花を買いに来た人とチチカステナンゴの守護神の引越し?の日の人出とが重なったのが理由らしい。教会前では、プロと思しき楽団が大音響で演奏会もしている。キリストやマリア像を乗せた山車を背負いプロセシオンと呼ばれる行列が厳かに通って行く。 教会の階段から見ていた僕の周りからスーッと人がいなくなったと思ったら、すぐ横で花火がドンと大きな音を立てて上がった。耳にビーンと響いた。少年が直径15センチ程の円筒を抱えてウロウロしている。次の花火を打ち上げる場所を探しているのだ。筒をおくと、火のついた花火が中に放り込まれ勢いよく打ち上げられるというわけだ。これだけの人ごみの中で、日本では絶対にあり得ない光景である。 もうわけが分からない程混沌としていて面白い。が、疲れる。民芸品屋のおじさんが、スリに気をつけろと真顔で心配してくれた。 人混みを避けて、屋台店ではない店に入った。綺麗なバッグが並んでいる。通りの喧騒をよそに店内は静かだ。店の主人が出てきて日本人かと聞く。そうだと答えると、チチカカという店を知っているかとたたみかけて来る。チチカカといえば中南米の服飾を中心に売っている店だ。高知にも店舗がある。何年か前まではチチカカから時々買い付けに来ていたのだそうだ。あまり買い叩くので最近はもう取引をしていないということだった。思わぬところで日本と繋がった。 チチカステナンゴは行く度に、ただ歩いているだけで何か新しく面白いものに出くわす。何か新しい品物を見つけようと目を凝らせば、もうこれは切りが無い。



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2016年1月26日 (火)

第57号 トウモロコシと石灰とナイアシン欠乏症

グアテマラでは主食であるトルティージャを作る過程で、水酸化カルシウムを多用する。そのもととなる石灰の塊は市場でもよく売られている。何故石灰を入れるのか疑問だった。そのことについては以前のブログでも紹介した。

「石灰を加えることにより、トウモロコシの粒の薄皮が取れやすくなり、特有の香りを強め、カルシウムの補いにもなります。さらに酸性食品であるトウモロコシに、アルカリ性のカルシウムが中和剤として働き、消化をよくする効果もあります」ということだった。

今回、イシル地方でよく見かけたトルティージャの制作過程を思い出していると、いくらか不明な点があり、ネットで調べていると、調べていたこととは別に、トウモロコシと石灰処理について重要な事実を知った。僕が知らなかっただけで常識なのかもしれないが。

曰く、「アルカリ処理は、トウモロコシに含まれている必須アミノ酸ナイアシンの吸収を容易にするための伝統的な措置で、7000年の歴史を持つこの摂取方法を知らずに母国に持ち帰ったスペイン人等は、ペラグラに罹患した。これは、トウモロコシのみを食事とした場合に発生する現象であって、副食経由で、ナイアシンを補う場合には起こり得なかった。タンパク質の利用度の向上は必須アミノ酸リシントリプトファンナイアシンの吸収性が上がることにより、トウモロコシを主食とする先住民族はペラグラの予防につながっていた。」

 トウモロコシの石灰処理は、トウモロコシを多食し、その他の副食をあまり食べない人たちが彼らの健康を維持していく上で必要不可欠の過程だったのだ。

 先人の知恵とは偉大なものである。

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