2012年5月19日 (土)

第97号 競馬

トドス・サントスの名物の一つに競馬がある。絵葉書にもなっていて,その絵ハガキは、グアテマラ中の観光地でよく見かける。開催は毎年11月2日だ。この日は多くの人でこの町は埋め尽くされるという。早くから予約してないと、宿が取れないそうだ。

 スペイン語学校の先生と、馬が走りまわるという場所を歩いた。何も競技場があるわけではない。いつもは生活道である道幅3メートル以下のでこぼこ道が会場だ。こんな場所であの有名な競馬が行われるとは信じられない。

 11月に当地に居たことはないから、実際にこの目で見たことはないのだが、スペイン語学校で、そのビデオを見た。人々がどのように準備をし、期待をし、この日を迎えるのか、当日の様子はいかなるものか詳細な記録だった。生活記録としてもとても面白い。

さて11月2日当日、各家々には親せき縁者をはじめとするたくさんの訪問客でごった返している。朝から宴会が始まる。大会が始まるころは皆へべれけだ。訪問客だけではなく、馬に乗る人本人もへべれけだ。

 大会が始まる。酔っ払って馬に乗れない人もいる。なんとか乗りはしたが、途中でずりこけてしまう人もいる。出発の笛が鳴る。一斉にスタートだ。騎手は必死の形相で馬の腹をける。道の両脇の鈴なり状態の見物客からはヤンヤの声援だ。しかし走る馬と見物客の距離があまりにも近い。あれでは毎年多くのけが人が出るに違いない。

 しかし、けが人はともかく、このレースはなんだか変だ。片道500mくらいだろうか。何回も同じ馬が、同じ人が行ったり来たり走り回っている。ゴールはいつだ?

どうもゴールはないようだ。競馬と思っていたが、速さを競うのではないという。速さだけでなく、競うものは何もない。馬に乗り、一日中延々と続く、村を挙げての単なる走りっこらしい。

 単なる走りっこに何故、乗る方も見る方も皆あれだけ興奮する? 僕にはどうもよく理解できない。前にも何かの時書いた記憶があるのだが、面白さ、楽しさの概念がどうも違うようだ。でも間違いなく、村人たちはこの日を待ちわび、楽しんでいる。

 尚、前日の11月1日は「死者の日」というグアテマラの主要な祭日だ。この日は、皆墓地に集まり、墓地の上で飲めや歌えの大騒ぎである。スペイン語教師の話によれば、トドスサントスでは、この「死者の日」の主役は女性であり、あくる日の競馬?の主役は男性だという。いずれにせよ、二日続けてばか騒ぎのできるとても大切なお祭り日には違いない。

2012年5月13日 (日)

第96号 留置場

 トドスサントスの中央公園の向かいに質素な建物がある。小さな窓には鉄格子がはめられている。いつもは静かで誰も住んでいる様子はないのだが、ある日人だかりがしていた。鉄格子のなかにも人がおり、外の人と何やら会話をしている。昔、インドで見たマリファナ売り場を思い出した。ここも何かヤバイものでも売っているのだろうか。あくる日はもう誰もいなかった。

スペイン語教師にその話をし、あの建物は何かと尋ねた。なんと、それは留置場だった。捕まった人が、そこに留置されていたのだ。周りの人は、食物を差し入れに来たり、様子見に来たりしていた家族や近所の人だったらしい。捕まったら、食事は家族が運ぶのだそうだ。手渡しで何でも差し入れできるところ、誰でもが自由に捕まった人と会話できるところが、なんともおかしい。のどかと言えばのどかなものだ。

 何日か後、また人だかりがしていた。写真を撮ってもいいかと聞いてみたが、もちろん断られた。

凶悪犯の場合はどうするのかとスペイン語教師に聞いてみた。知らない、というのが答えだった。ここ数年間凶悪事件はゼロだそうだ。

内戦中、軍による虐殺もずいぶんあった村だ。今はもちろん戦争はないが、昔敵対していた人たちも同じ村に住んでいる。なのに凶悪事件は一つもないという。何か不思議な気がした。村内では、自警団が組織され、良く機能していて、犯罪は起こる前に防げるのだそうだ。

留置場   留置人が居る時でも看守がついているわけではない
ここに記事を記入してください

2012年5月 5日 (土)

第95号 危険な噂パート2

 先回のトドスサントスでの日本人殺害の話を聞いてから何日か経ったころだ。スペイン語の授業を受けに学校に出かけると、事務職員のノラと教師のアリシアがこそこそと話をしている。ウエウエテナンゴのラジオ放送で流されたという噂の話である。以下その概要。

 

 「ウエウエテナンゴの病院から一人のエイズ患者が逃走した。精神に異常をきたしているらしい。注射器に自分の血を採り、道行く人を捕まえては注射をし、エイズを感染させている。特に女性が狙われている。人ばかりではなく、牛や豚にも注射をして病気に感染させ、それを食べた人間への感染も狙っている。道行く人々だけではなく、白衣で医師を装って家庭訪問をしての注射も繰り返す。そして、現在はトドス・サントスに潜伏しているらしい」 

 

 そしてその話を聞いた日の午後、又何人かの人が話をしている。今度はパソコンを開いている。パソコンの記事の発信人はウエウエテナンゴの新聞記者だということだ。

曰く。

 エイズ患者が逃走し病原菌をばらまいているという噂がある。ウエウエテナンゴのすべての病院に確かめたが、そのような患者が逃走したという事実はない。又。噂の中には、犯人とされる人の人物像について正確な情報は何もない。この噂は、2000年に日本人観光客殺害に至った時の「子供をさらう悪魔集団」のうわさ話とよく似ており、危険な要素をはらんでいるので注意が必要だ。

 

 アンティグアのスペイン語学校の先生が、魔女は金曜日に現れるとか、なんだかおどろおどろしい話を真面目な顔をしてよくしていた。マクドナルドの店先に置いてあるマスコット人形の組んだ足が、時々左右入れ替わっているという話もまことしやかにささやかれていた。

 昔長いことホームステイをしていたアンティグアの家の主人が、グアテマラ人は、原住民であれラディーノであれ、魔女や呪術を信じる傾向が強いのだと話していたことを思い出した。

 

日本人殺害の2000年の事件はよく、呪術や迷信を信じる人々の存在とか、写真を撮られることは魂を持っていかれることだと信じ、写真を拒否する人々の存在とかが、その国の後進性や未開と関連づけて語られる。その後の、精神病のエイズ患者の噂は、グアテマラの後進性やそれゆえの怖さを納得させるのにうってつけかもわからない。

 

だが僕は、この話を聞いたとき一番に、関東大震災の時の朝鮮人虐殺に結びついた噂や、フランスで、若い女性が失踪するという噂が街中を覆い恐怖と不信が蔓延したという「オルレアンの噂」を思い出した。

 トドスサントスの事件は、遠い異国の秘境?で起きた後進性ゆえの事件と片付けないでほしいものである。

 遅れている?からではなく、未開であるからでもなく、物の理をわきまえない不可思議な人々の存在故でもなく、もっと普遍的な,あるいは意図をもった悪意を含む人間の心理的一現象だと考える。


2012年4月29日 (日)

第94号 危険な噂   トドス・サントス 日本人殺害事件の真相?

村の中心の教会前広場から通りを見つめる人々。何を見るというわけでもなさそうだが、いつも人だかりがすごい。日本人殺害もこの近くで起こった。


 12年も前の話だが、
2000429日土曜日、トドスサントスで、一人の日本人観光客とグアテマラ人の運転手が殺害されるという事件があった。その時の様子をトドスサントスのスペイン語教師ポロから聞いた。以下その聞き取りメモである。

「数週間前から、この地方にはサニタニコスと呼ばれる悪魔集団が子供をさらいに来るという噂が広まっていた。単にトドス・サントスだけではなく、ウエウエテナンゴを含む広い範囲にこの噂は広まっていた。事件前にはウエウエテナンゴでは、サニタニコスに気をつけるようにという住民への注意喚起がラジオ放送を通じてあったという。学校は臨時休校となり、子供たちは家に閉じこもって外には出なかった。街中が恐怖にかられ、いわばパニック状態にあった。

 そんなとき、日本人観光団がやってきた。土曜日に開かれる市場見学が目的ではなかったかいわれているが、この山深い田舎町になぜ観光集団がやってきたのか真相はわからない。

先ず彼らは町の中心部から500メートルほどの距離の高みにある小さな遺跡を訪れた。そして、噂では、サニタニコスもそこを訪れるとされていた。日よけのため、男性の何人かは帽子をかぶり、女性の何人かは、ヴェールで顔を覆っていた。そのことも悪魔集団と関連づけて語られた。次に市に向かったと思われる。ほとんどの子供は家に閉じこもり外にはいなかった。

そんな中、一人の母親が、赤ん坊をおぶって市に来ていた。子供がぐずって泣き出した。その場に居た観光客の一人が、その赤ん坊をあやすために飴を与えようとした。それを見た母親が、恐怖にかられ大声で叫んだ。ナイフを持って襲ってきたと勘違いしたらしい。その声を聞きつけた周りの人が、観光客を取り囲み、悪魔だと叫びながら暴行を始めた。

 しかし、ほとんどの人は、彼らが悪魔ではなく観光客だと知っていた。特にトドスサントスの中心部に住む人は知っていた。だから大勢の人が違い違うと言いながら暴行を止めようとした。実際に暴行に加わった人は、周辺部に住み、市に買い物に来ていた人たちで、外国人観光客をあまり見たことが無い人たちだった。

 すぐそばに警察署もあるのだが、当初、警察官の動きはなかった。殺された後警察官が来て、暴行に加わった人と最初に叫んだ母親を逮捕した。何故母親が逮捕されたのかは知らない」

 

この話を聞いたときは、すでに事件から7年余りがたっていたが、この事件が村に与えたショックは大きかったらしく、かなりの人の記憶の中に、日時も含めて鮮明に残っているようだった。

事件後約1年間、トドス・サントスを訪れる観光客はゼロだったという。この村へ与えた経済的打撃もまた大きかった。日本では、以後グアテマラは非常に危険な国と位置付けられた。

アメリカの旅行案内書・ロンリープラネットなどの説明によると、写真を撮ろうとした日本人が殺害されたことになっており、相手の許可なくむやみに写真は撮らないようにとされているが、ポロの話では写真という話は一度も出なかった。

 

事件当時の日本の新聞によると、この事件は、「秘境の旅」を売り物にした旅行会社の企画であったらしい。尚、トドスサントスは、織物でも有名である。織物に関心のある観光客も多い。

2012年4月22日 (日)

第93号 トドス・サントス

静かな山あいの町  トドス・サントス


 ネバッホからの人気ツアーの一つにトドス・サントスへの2泊3日の徒歩旅行がある。山越えの厳しいツアーだがその美しさのゆえに人々を魅了するという。一度経験したいが、今の僕の体力ではどうしようもない。

 トドス・サントスは、標高2500メートルの山間にある人口2500人程度の小さな村だ。グアテマラ西部高原のウエウエテナンゴ県にあり、その首都であるウエウエテナンゴからバスで2時間半程度のメキシコ国境に近い所に位置する。住民はマムと呼ばれる民族でマム語を話す。女性は、赤と青を基調とするまことに複雑な織りのウイピルを着用している。男性は、縁のあるベージュに紺の線の入った帽子をかぶり、赤いストライプの入った白地のズボンと、その上に、黒の短いオーバーズボンを着用している。シャツは、赤や青の細いストライプの入った薄い灰色だ。女性ばかりでなく、多くに男性が民族衣装を着ていることでもこの村は有名だ。

昔の旅日記を見ていたら、そのトドス・サントスがでてきた。トドスには3回行った。2008年が最後だから、少々古い話だが、その街のことを日記をベースに3~4回書いてみようか。

 

トドス・サントスへの道(2度目に訪れたときの日記より)

 ウエウエテナンゴの街中を過ぎると間もなく坂道に差し掛かる。そして、バスはまさに喘ぎ喘ぎ急なつづら折りの道を上っていく。次第にウエウエテナンゴの町がはるか下方に広がってくる。
 約1時間後、窓から入ってくる風が冷たさを感じさせるころ尾根に差し掛かる。否、尾根というよりは、そこにははるかな平原が広がっている。時計の高度計は3100メートルを指している。標高1900メートルのウエウエテナンゴから一挙に1000メートル以上も上ったのだ。
 放牧の羊があちこちに見える。羊に交じり、馬や牛も散見される。あたりの家は大きく構造もしっかりしており、村の豊かさを感じさせる。道行く人々はウイピル(マヤの民族衣装)を着ていない。何故か、この寒い地にリュウゼツランのような植物がたくさん植えてある。背丈もかなり高い。やがて、名は知らぬが茎がキュート伸びて赤い穂のような花をつけた植物が目を引く。マンジュシャゲを思わせる。畑の境界線上に植えられているのもよく似ている。キク科だと思われる黄色の小さな花もまるでお花畑のように咲き誇る。ジャガイモの白い花もあちこちに見える。そんな高原の道を30分も走ったころ、バスは下りにさしかかる。景色に見とれているうちにいつの間にか道は未舗装に変わっている。車の振動が尻の骨に響く。はるか下方に村が見えてくる。車窓から、赤地に白のストライプの入ったズボンをはいた男性が目立ち始める。トドス・サントスはもうすぐだ。

トドス・サントスの中心部

2012年4月15日 (日)

第92号 ピニャータ


 ピニャータとは、張り子の人形のことだ。くす玉の人形版と言った方が分りやすいかもしれない。上の写真のようなものだ。この人形は中が空になっている。その中にキャンディ類を一杯詰めふたをする。蓋は、簡単に糊付けされていてたたけば開く仕組みだ。この人形をひもでつるし、揺り動かす。目隠しをされた人が、揺れ動く人形の行方を見定め棒で結構力を入れてたたく。もし当たれば人形が割れ、その中からお菓子が飛び出し、見物客が競ってそれを拾うというものだ。なかなか当らなくて、棒を持った人が右往左往する様も面白い。ピニャータは、誕生会をはじめ、何かのイベントのときには必ずといっていいほど登場する。大人も子供も、結構楽しみというより、熱狂して参加する。まだ、棒をぶんぶん振り回しているのに、こぼれおちた一部のお菓子拾いに人々が殺到し、危なくってしようがないことも稀ではない。

熱狂して、お菓子を拾う様は、高知の新築祝いの餅まきに集まり、人を押しのけてまで拾いあう情景をほうふつとさせる。高知の新築祝いも、グアテマラのピニャータも子供だけでなく、大人が熱狂する様が、誠に面白い。別に餅がそんなにほしいわけではないが、もち拾いは、もう、楽しくて仕方がないのだと高知の知人に聞いたことがある。グアテマラの人も同じようなことを言っていた。

 

写真はクリスマスを前にして店頭に飾られたピニャータだ。クリスマスの家庭内でのお祝いにも欠かせないもののようだ。

知り合いの家の子の誕生会の時の様子。ピニャータが分るかな。目隠しの子は、隠れて見えないが、長い棒を持って振り回している。


2012年4月 8日 (日)

第91号 何じゃ、こりゃ


 ネバッホのとあるレストランの看板だ。なんと書いてある?

左上には「中華料理専門店」とある。しかしその下には大きく「ピザ」だ。右側は「ハンバーガーその他たくさん」と書かれている。中華料理屋にピザとハンバーガー?そんな看板を出すか?

入ってメニューを見た。確かに看板に書かれている通りの中華・イタリア・アメリカ料理がある。インターナショナルというか、無国籍というか、何でもいいというか、どうでもいいというか。

中華の部の「野菜と豚肉炒め」を頼んでみた。出てきたものは確かに、他のどこの国の料理でもなく、中華料理(風)であった。後から来たアベックはビザを注文していた。まさか、ピザは中華料理だとは思っていないと思うが…。

2012年4月 1日 (日)

第90 郵送品


昔の写真をめくっていたらこんなのが出てきた。何の写真だと思う?

正解は、グアテマラの郵便局から送った荷物の箱でした。

じゃ、一面に張られている図柄は何? 

はーい、ピンポーン。それは切手なのです。一面だけでは足りなくて、もう一面も使ってびっしりと貼ってありました。しかも、良く見るとわかるのですが、この切手20枚くらいを1シートとしてベタッと貼ってあるのではなく、なんと一枚一枚貼ってあるのです。まことにご苦労さまでございます。郵便料金納入済みの印だけというわけにはいかないんでしょうかねー。

よっぽど暇なのかなと思ってしまうけど、窓口には列を作って客が並んで待っていて、結構忙しそうに見えたけどなー。でも、これは3年ほど前のことだ。今は少しは改善されているかもしれない。

2012年3月25日 (日)

第89号 超満員バス

ネバッホからコツァルへ行った時のことだ。いつものことだがミニバスは今日も満員だ。ネバッホのバスターミナルを出発する時点ですでに十分すぎるほど満員なのだが、途中でまだまだ客を拾う。

満員バスについては既に何回か書いたが、今回は乗客の数をちゃんと数えてみた。ミニバスの超満員とはどのようなものであるのか。

先ず車であるが、日本でいえば、8人乗り位の箱型ワゴン車である。日本車が圧倒的に多い。グアテマラシティやアンティグアなどの都市部では、日本車の割合が少なくなってきているが、イシルではまだ、85%くらいは日本車である。

日本では、運転手のいる前列は2席で後部は一列当たり3席の2列が普通かな。グアテマラでは、それを改造して後部4列になっている。運転席横にも当然もう一つ席が加わる。日本だと8人乗りの車が、補助いすも加えて、19定員?だ。さらに後部座席前列の、いわば足置きというか、一段高くなったところにも、後ろ向きに2人座っている。座っている人の計21名である。さらに立っている人3名。全部で24名が乗っている。もう、ギュウギュウなんていうものじゃない。だのに、車掌と運転手はさらに乗せようと客を探す。

結局、一番ひどい時は、車内にさらに3人を詰め込んだ。おまけにである、中に入り切れない1人の客と車掌が、屋根に上る梯子にしがみついている。全29人だ。

さらにいうと、この数字には子供の数が入っていない。子だくさんのこの地方では、必ず子連れの客が何人かは交じる。子供も含めた全体数となると、さらに3人程度はプラスになる。

立っている客は腰をかがめた状態で身動きもできず、もう地獄だ。金を払ってバスに乗りながら、なぜこのような責め苦にあわねばならぬのか、と神をも呪いたくなるのではあるまいか。

決して、大げさではなく、かつ稀でもない地方都市間のミニバスの実態である。救われるのは、途中に結構乗り降りがあり、この状態がずっと続くのではないことだ。

2012年3月18日 (日)

第88号 治安

310日付の新聞(我が家は高知新聞)に、グアテマラで日本人が殺害されたという記事が載っていた。現地に住む日本人が車で移動中、3人組に停止を命じられ金を要求されたが、それを拒んだため殺害されたというものだ。

「おまえはよくグアテマラに行くが、大丈夫なのか?」と、その日の朝、早速、北海道の友人から電話があった。大丈夫でもあり、大丈夫でもなしというのが答えだろう。
 グアテマラの治安は良くない。特に首都グアテマラシティの一部などは強盗事件が頻発するし殺人も稀ではない。グアテマラの
2大新聞の一つである「ディアリオ」をみると、毎日紙面は殺人事件などであふれている。ちょっと扇情的でグロテスクなその新聞の記事を見ていると、グアテマラには居たくないなとも思う。

 グアテマラの凶悪犯罪には大きく分けて二つのタイプがあるようだ。一つは、町のチンピラが関わる事件である。小遣い銭欲しさに会社や団体にみかじめ料を要求し、それが聞き入れられないときには見せしめのために関係者を襲うというのがよくあるパターンだ。バス会社への要求が聞き入れられなかったとき、バスの運転手や車掌を襲い、ついでに乗客からも金品を奪っていくというのがよくあるタイプだ。グループ間抗争に関するものも多いと聞く。

 もう一つは、いわゆる人権活動家や環境活動家など人権被害や抑圧に異を唱える人や自治活動を広げようとする人、鉱山開発や水力発電所開発事業などに異を唱える人たちを脅迫し、意に従わない人を闇に葬り去るというものだ。昨年、イシル地方の内戦被害者の会のリーダーも拷問の末殺害された。

 いずれも問題が大きいことに変わりはないが、より深刻で不気味なのは後者であろう。旅行者として外国人が被害を受けるのは圧倒的に前者だ。こちらは、被害にあう可能性は結構高い。危ない場所に近寄らない用心深さと、危ない場所を察知する嗅覚も必要だ。それでも、犯罪には遭遇する。それはそれで運が悪かったとあきらめるしかない。相手は銃を持っていることが多いからゆめゆめ抵抗しないことだ。金は必ず分散して持っておき、いくらかは素直に渡すことが重要だとよく聞く。そうすれば、命まで取られる可能性はぐっと減る。
 そういう意味で、大丈夫であり、大丈夫でもなしという答えになる。

 

治安回復はグアテマラの抱える重大な課題の一つである。大統領選挙戦でもいつもその問題が云々される。だが一向に良くはならない。貧困と格差、地域のボスや企業家と国家の癒着が解消されない限りなかなか前には進めないだろう。

今年大統領に就任したオットー・ペレス氏は退役将軍であり、20万とも25万人ともいわれる内戦時の住民虐殺に関与した軍人であった。この大虐殺の真相を究明し責任者を断罪することがグアテマラ再生のキーだと思うのだが、張本人が大統領では、真相の解明でもあるまい。自分の過去の行動とその結果を解明せずうやむやに済ます人に、現在のグアテマラの抱える問題を解決できるわけがない、と私は思う。大好きなグアテマラだが、現在も未来も明るくはない。

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