2017年10月27日 (金)

第276号 母親介護

母親の腕を支えながら歩いてくる男性がいる。知り合いのマイノだ。何かを話しかけながら、ゆっくりゆっくりと母親のテンポに合わせて歩いてくる。彼の母親は病に倒れ今自力では歩くことができない。話しかけに対する反応も子供にすらほとんど理解できないようだ。
そんな母親の介護を昼間に受け持つのがマイノである。他に姉妹が何人かいるのだが、彼女らは働いている。日本では、少しの例外を除けば、介護を引き受けるのは女性で、男は外に働きに出るものだとほぼ相場が決まっている。マイノールの場合は逆だ。なぜ彼が母親の面倒をみているのかと理由を尋ねると、家の外はもちろんのこと、家の中にも段差が多く、彼女を支えるには相当の力がいるので、女性陣には無理だとのことだった。でもそれは日本でも同じなんだがなー。

マイノールの例がグアテマラでは一般的であるのかどうかはわからない。でも、彼らとの会話から判断するに、それがとりわけ特殊な例であるようにも見えない。

男女の役割分担は別にして、この国では年寄りや障害者の面倒は各家庭でするのが一般的なようだ。他に世話をしてくれるものがいないからということだけではなく、家族というものの絆の強さに起因するのだろう。こんな時、大家族であるということは心強い。

10年以上も前に、アンティグアにある老人ホームにしばらく通ったこたがあった。老人ホームに入っている人は、身寄りが全くないか、あるいは何らかの理由で家族から捨てられた人がほとんどであった。だから彼らには家族の面会はほとんどなかった。昔の日本もそうであったように、施設というのはグアテマラではまだ特殊な場であるという印象だ。

そんな特殊な例を除けば、年寄りも障害者も家族が最後まで気負いなく看る。嫁一人に負担がかかるということもないようだ。僕が知る限り、グアテマラは今の所そんな国だ。変わって欲しくない点である。

深く関わったことはなく表面だけしか見ていない僕の印象と感想である。知らないところで壮絶な家庭内バトルが繰り広げられているのかもしれないが。

2017年10月 6日 (金)

第275号 どうすりゃいいの

ドミンガは笑顔が可愛くシャキシャキとした娘だった。初めて会った時は、まだ11歳か12歳くらいだっただろうか。家が貧しくて学校は中退していたが、利発そうな子だった。5年も前の話だ。
友人の話によると、いまではあの頃の可愛さは微塵もなく、家にも寄り付かない荒んだ生活をしているという。

さらに、初めて会った時は、イガクリ頭の大きな目をした子供だったドミンガの弟だが、彼も何処かの安い家を借り、恋人と同棲をしているという。歳はまだ13・4だろうか。
二人とも、食うに困らぬ収入なぞあるはずもなく、安定した生活なぞ望むべくもない。一杯15円ほどのきつい密造酒に溺れ道端に寝転ぶ彼らの将来を想像してしまう。

まだまだ若いというか、まだ子供なのに、彼らはなぜいまのような生き方を選んでしまったのか。5年前のあの笑顔を思い出すとやるせない。

理由は色々あるのだろう。幾つもの不運が重なってしまったのかもしれない。その理由のイチイチはわからないが、僕の考える問題点はこれだ。

イシル地方概観
まず簡単にイシル地方についておさらいしておく。
グアテマラの西部高原地帯の一角に位置する。クチュマタン山脈に囲まれた山間にあり、海抜1700mから1800m程度のところに位置し、比較的寒冷多雨の地域である。ネバフ、チャフル、コツァルの3集落からなりイシル三角地帯と呼ばれるが、それぞれの集落への行き来は車で30分から40分かかる。ほとんどの人は自家用車など無縁であり、孤立した3集落の集まりと言って良い。言語はイシル語で、人口は約10万人と言われている。コツァルには大規模なコーヒー農場があるが、コーヒー収穫時の臨時出稼ぎ雇用を除き、地元との関わりはほとんどなく、その他に産業と呼ばれるほどのものはない。


問題一 仕事がない
兎にも角にも仕事がない。コツァルで特に知識身技術も持たぬ男性がありつける仕事といえば、道路工事や家を建てる際の作業員くらいのものではないか。あとは、山の斜面を耕したわずかばかりの畑仕事と、山からの薪運びだろうか。村内では仕事にありつけないため、現金収入を求めて、トウモロコシやサトウキビやコーヒー豆の収穫のための季節労働へと赴かざるを得ない。労働条件はいずれも過酷で賃金は安い。しかも年中あるわけではない。

女性の現状はもっと厳しい。家事のみだと言ってもいい。暇さえあれば織物をしている人は多いが、これが収入に結びつくわけではない。イシル地方最大の町であるネバフにはお手伝いさんや店員などの仕事はあるが、これも限りがある。

では、思い切ってもっと大きな他の街に移り住んだらどうだろう。
しかし、資金もなく特別な技術もなく頼る人もない身で生まれ故郷を飛び出すにはかなりの勇気がいる。
さらにもっと大きな障害として言葉の問題がある。

問題ニ スペイン語が話せない
グアテマラの公用語はスペイン語である。一方、イシル地方の言語はイシル語である。この地方で生まれた人の母語はイシル語であり、日常会話は全てイシル語で行われる。だから、公用語としてのスペイン語を身につけるためには、特別の教育を受ける必要がある。その教育を受ける場所は学校だ。しかし、義務教育である学校に行かない、あるいは行けない人が圧倒的に多いのだ。

もう一つ言葉の問題としてややこしいのは、グアテマラという狭い国の中に(日本で言うと、北海道と四国を合わせたくらいの国土面積)22だか23だかの言語が存在していることだ。しかもそれらは、日本語の方言の範囲をはるかに超え、互いの言語による意思疎通ができないという。

ということは、ちょっと離れた場所に行けば、同じグアテマラ人同士であっても、あるいはマヤ人同士であっても、スペイン語を仲介としてしか言葉が通じないということだ。イシルなどの局地言語だと会話できる相手はさらに限られる。イシルはキチェ県の一地方なのだが、県都であるキチェ市に行けばもう言葉が通じないのだ。

金はない、知人はいない、教育は受けていない、おまけに言葉も通じないとなれば簡単に移住はできない。

では何故学校教育を受けないのだろう?

問題三 教育の不在
イシル地方のコツァルで中学校を卒業にこぎつけるのは入学時の約20%ではないかという話を聞いた。20%という数字の正確さはともかく、学校中退者の多さは間違いないようだ。何故?

親の無理解と貧困
学校に行くにはそれなりに金がかかる…その費用が親にとっては負担になる。自身も学校には行ってなく教育に理解のない親は結構いる。貧しい彼らにとって、余分?の費用を出して学校に行かせるより、山に行って薪をとったり、公園で靴磨きでもして、少しでも稼いでもらう方がありがたい。親の無理解と並行して、子供労働を必要とする貧困の問題がある。

落第制度の問題
親の理解無理解に関わらず、子供達は新しい環境である学校に期待する。しかし、その期待と意欲も長くは続かない。その理由の一つに小学生であっても落第するという制度の問題がある。できない子はいつまでたっても、一年生で2年生になれない。十分な予習復習ができる環境にない子供達にはこの制度がかなりストレスになり、結局嫌になって学校から足が遠のく。

教師の問題
教育の裾野が狭い環境では、優秀な教師も育たない。指導技術を持たない教師が多いのだという。これは極端な例だとは思うが、足し算の前に掛け算を教えようとする教師の話を昔アンティグアで聞いた。この授業で、この先生は一体何を教えようとしているのだろうかと授業参観しながら僕自身が疑問に思ったたこともある。でも、それで解らなかったら落第。


土地はない、仕事はない、教育も受けていない、仕事を求めて他の地への移住もできない。どこに希望を繋げばいいのだろう。何の夢をもてと説得すればいいのだろう。彼らが思い描けるのは、彼らの親と同じ生活でしかないにちがいない。かくして、冒頭のドミンガやその弟のような生活をせざるを得ない若者は後を絶たない。
どこにも行き場のない閉塞状態なのだ。この負の連鎖を断ち切るために奮闘している人も僅かながらいる。僕の知人もその一人なのだが、正直疲れて諦め気味だ。

今回は暗い話になってしまった。
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2017年9月 9日 (土)

第274号 グアテマラと危険と自己責任と

道は凸凹 だらけ。 大きな穴も珍しくない 段差はいっぱい だし、道にはしばしば建物の端が出っ張っており、よそ向いて歩くと頭を思い切り打ち付ける可能性がある。危険極まりない。 道にはもちろん犬の糞多数 。夜道は暗い。車はブンブンとすぐ横を走り抜けてゆく。

 段差に蹴躓いて転んだらどうなるか?

 場合によっては、日本では道路整備が悪いためだと裁判になるかもしれない。新聞に投書があり、市町村や県への非難轟々だろう。

 ここグアテマラでは、もちろんどうなりもしない。 全ては自己責任である。ここでは道をただ歩くだけでも、かなり神経を集中させねばならない。いい月夜だなどと空を見上げながら歩くことなどできない。

 自己責任ゆえに余計気をつけるおかげかどうか、犬の糞は時々踏むものの、まだ転んだことも蹴躓いたこともない。

 でも、これって普通じゃないの?のほほんと歩いていても危険の少ない日本人の五感はかくして鈍くなっていく。危険とは何か、衛生的とはどういうことか、自己責任とは何か。何かと考えさせられることの多いこの国の日常である。Cimg1845
道路はよく川となる

2017年9月 2日 (土)

第273号 銀行と警備

今まで行ったことのある銀行には、少なくとも入口に一人と内部に一人の計二人は小銃を抱えたガードマンがいた。もちろんそれより多いこともある。たまに拳銃の場合もあるが殆どは小銃を持っている。

今回、これまで行ったことのない銀行に行った。ドアを開けて金属探知機をくぐる。その奥に拳銃を腰にしたガードマンが一人。背負っていたリュックの中身をチェックされた。大概は、探知機をくぐる前にチェックされるかバッグごと入り口に預けさせられるのだが、ここは金属探知機をくぐった後に持ち物検査だ。ここにはガードマンは一人だけである。しかも持っているのは拳銃だ。これは珍しい。

待ち時間が結構長く暇を持て余し、ふと入口横上を見たら、壁だと思っていた部分の上にガラス窓がある。その中で人の気配がする。そして、ガラス窓の下の壁部分には小さな穴が二つある。日本の天守閣に良くある狙撃用の穴に形が似ている。内側からは押せば開くが外からは開けられないようになっている。

これから後は想像だが、この銀行の警備員は一人だったわけではなくあの壁裏に隠れているのだ。そして、いざという時の為に狙撃用の穴が開けてある。一人だけの、拳銃一つだけの警備ではなかったのだ。ガラス窓も防弾ガラスに違いない。
混み合った時間に行けば、かなり長時間立ったまま待たされる銀行だが、そんな想像を巡らしていると時間も早く過ぎてゆく。

2017年8月21日 (月)

第272号 犬も自由にどうぞ

ここらでは、そこで飼われているわけではない犬たちがかなり自由に店の中外を出入りする。見つければ追い出す店もあれば素知らぬ顔で犬の好きにさせている店もある。犬好きには結構な話であるが、動物嫌いにはたまらないだろう。しかし、生まれた時からこれだけ犬と近い生活をしていたら、犬嫌いはいないのかもしれないのかもしれない。どうなんだろう。

何故そんなに自由に出入りできるのか考えていたら、今更ながら気がついた。入口に戸がないのだ。食堂にも、雑貨屋にも、薬局にも、土産物売り場にも、どこにも戸がない。ドアをギーと開けて中に入る必要がない。だから犬も自由に出入りできる。

だから店では閉店の時戸締りをすると言うよりは直接シャッターを下ろす。ドアがあるとすれば銀行くらいかな。ここにはほぼドアがある。ドアのない銀行も一つ二つは思いあたるが、そんな場合は小銃を抱えたガードマンが2人くらい前に立っている。まあ、ドアはあっても銃を持ったガードマンは必ずいるのだが。あとアンティグアなどのホテルにはドアがあることが多いが、この場合は個人の家と一緒で、中に入る時はいちいち中から開けてもらわねばならならず、自由に出入りはできない。そういえば、Macのグアテマラ版ともいうべきポジョカンペーロは、僕が知る限りでは、いつもドアがしまっていて、やっぱりピストルを持った警備員が開け閉めしてくれる。他のレストランはそんなことないのに、何故ポジョカンペーロだけがそうしているのかは謎である。

ま、どうと言うことはないことだけどちょっとした日本との違いでした。

2017年7月26日 (水)

第271号 シェラ

シェラへ行った。パナハッチェルから直通バスで約2時間半。道中の高原から見下ろすようなバスからの眺めは美しい。土地は肥沃で家々も綺麗で大きい。土地も人々も町全体が豊かそうなのんびりとした風景が続いてゆく。

シェラはグアテマラで2番目に大きい街だ。正式名はケツァルテナンゴと言うが、現地ではそう呼ばれるのを聞いたことがない。最初に到着する乗合バスのターミナルとそれに隣接する市場の混雑ぶりと混沌さは半端ではないが、それを抜けると綺麗に整備された地方都市の趣がある。
グアテマラの他の地ではかなり一般的であるトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーが走っていない。その代わり、ミニバスが縦横無尽に走り回っていて移動に苦労はしない。しかも一率1.5ケツァル(約20円)という安さだ。

しかし、これといった名所があるわけでもなく最近は滅多に行くことはない。今回は、一昨年と同じく、頼まれていた音楽のCDを探しに行った。海賊版はあちこちで安く売られているが、オリジナル番はグアテマラシティとシェラにしかないらしい。しかも店の数もシェラに2店、グアテマラシティに2店だけだという。今回は探し物が見つかり、安心してチニートという店で焼きそばまがいを食べそのまま引き返した。今日も多いに疲れた。

シェラにはこれといった名所は何もないと書いたが、シェラからスニルという町に行く途中に温泉街がある。以前は風呂が恋しくなるとよくそこに行ったが、近年はご無沙汰だ。今回は時間があったので、そこに行って体を休めればよかった、とは後の後悔である。ゆっくり体を湯につけられるというだけで,日本人旅行者には好評の場だ。

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バスターミナル裏の市場の風景


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シェラの町並みの一部

2017年7月18日 (火)

第270号 宿とシャワー水の温度考

イシル地方との関わりができて13年ほどになるが、ホテルでも個人の家でもまだ、暖か〜いと感じるシャワーを浴びたことがない。もちろん高級そうなホテルに泊まったことはないから、僕の泊まれる安宿での話である。
宿に入り部屋を見た後でシャワーに温水が出るかどうか聞いた。若いお姉ちゃんがこともなげに、出るよといった。素直にその言葉を信じ、湯が出ることを確かめずに宿をそこに決めた。

コツァルの夜は結構寒い。体を温めようとシャワーの栓をひねる。ノブは一つしかない。一つのノブをうまく調節することでお湯の温度を変える仕組みなのだが、うん?温度が上がらない。ノブを慎重に慎重にすこーしづつ回しながら様子をみるが、いっこうにお湯にならない。

そのうち、わずかに冷たくないはない程度の水になったが、それ以上にはならない。手をかざせば、冷たくはない程度だから、頭からかぶればたまらない。きっと震えるだろう。シャワーは諦めて顔だけ洗って寝た。

あくる日に、その旨話すと、今日の夜の8時から8時半の間なら間違いなくお湯が出ると言う。昨日は少し電源が足りなかったのだと、わけのわからないことをいった。8時になるのを待ちわびて、またシャワーの栓をひねった。やっぱり水だ。粘っていると、そのうち、昨日よりはもう少しだけ暖かい水に変わった。思い切って服を脱ぎシャワーを浴びた。うー、冷たい。体を洗っていたら風邪をひくに違いない。早々に諦め服を着た。

あくる日も同じだった。翌々日はネバフのホテルに移った。そこではもう少しお湯だった。しかし体を温めるには程遠い温度だった。

毎年訪れる知人の家には今年新たにシャワーが設置されていた。もちろん水シャワーだ。僕には冷たくて水シャワーなぞ絶対に浴びたくはないが、ここらの人には水が普通なのだと思う。家の外の水道で髪を洗っている人の姿はよく見かける。シャワーがあるだけ贅沢というものだろう。

だから、ほんの少し温かみはあるが、僕にとっては水という範疇に入るこの液体は、現地の人にとってはお湯なのではなかろうかと今思う。お湯が出ないと言う僕の問いに対して、8時から8時半の間なら出ると答えたその真意はよくわからないが、決して嘘をついていた訳ではないのだろうと思う。湯は出るはずなのにこの客は何をいっているんだとと思われていたのかもしれない。
勝手な想像である。

尚、以前に何回か書いたが、イシル地方にはチュと呼ばれるマヤ式サウナがほとんどの家庭にある。これは冷えた体を温めるには、もう最高だ。その設備を備えたホテルもあるが、安宿にはない。

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イシル地方で撮ったシャワーの写真がないため、これは別の場所での写真である。この形式のシャワーは水圧もあり十分なお湯が出る。


2017年7月11日 (火)

第269号 バスと物売りと伝道師

バスに乗っていると乗客以外にいろいろな人が乗り込んでくる。一番多いのは、飲食物を売る人たち。ちょっと大きな停留所に着くとバスは5分か10分くらいは停車することが多い。止まった途端売り子たちがドット乗り込んでくる。トルティージャやタマルといった食べ物の他、果物・キャンディ・ガムやピーナツ・フライドポテト・飲物と多彩である。

食べ物以外に時計やボールペンなどを売りに来る人もいる。ものもらいもやってくる。これは、手足に障害を抱えた人が多い。その他、薬売りも多い。これは長々と口上を述べた後、座席を回ってくる。どれも皆結構売れているから、不思議といえば不思議だ。

お金とは関係ないが、キリスト教の説教師もよくやってくる。静かに語り始め、やがて手を振り上げながら声がだんだん大きくなり、終いには絶叫調になる場合が多い。運転手と宗旨が合わぬこともあるのだろうか、説教中に運転手が音楽のボリュームを上げて、説教が聞こえなくなるという場面に出くわしたこともある。逆に説教が終わると大きな拍手が起こり、バス全体の雰囲気が何となく高揚するということもあった。

バスの中も面白い。座り心地が良ければ申し分ないのだが…
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2017年6月19日 (月)

第268号 乗合バス

乗り心地の良い乗合バス(通称チキンブス)には乗り合わせたことがない。座席は破れてボロボロ。座席が前に傾いている。前の人の背もたれ部分の後ろ側,要するにこちらの膝が当たる部分は鉄板がむき出し。前後の座席間は異常に狭い。その上,運転手の趣味による大音響音楽。すごいスピードと追い越し。 まあ、いろいろある。

今日は新手にであった。床の鉄板がむき出しで,その上,その鉄板が所々薄くなって擦り切れ、穴が空いていて下が見えるのだ。飛び上がって重量をかければ床が落ちてしまいそうな感じである。さすがちょっとこわかった。
が,何事もなく目的地に着いた。今日も明日も明後日もごく普通にこのバスは走り続けるに違いない。快適であるに越したことはないが、おんぼろバスも、まあいいか。

バスの構造には関係ないが,この僕の乗っていたバスが停留所から発車直後に,後ろでドカンという大きな音が聞こえた。振り返れば,バスの直後を走っていたと思われる乗用車が道の真ん中で横転している。ほとんど全ての乗客は振り返って現場を見ているが,バスは何事もなかったように走り去って行った。状況からして、恐らく対向車を無視しての無理な追い越しが原因だろう。
こんなのは、まあいいか!ではもちろん済まない。
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2017年6月 6日 (火)

第267号 コツァルの墓

これは一昨年の11月のことだ。
ぶらぶらと歩いてコツァルの墓地に行った。死者の日の名残の少し枯れかけた花が目立った。ここにはあまり大きな墓はないが、先日訪れたパナハッチェルの墓地に比べると、とてもゆったりしている。

隣り町のネバフには、恐らく内戦犠牲者のためのものだと思われる粗末な十字架だけの墓もたくさんあったが、同じようなものはここでは見当たらない。

入り口から100m程歩いた正面に十字架を掲げた建物があり、中奥には煙で燻し出されたような十字架などがたくさん転がっていた。以前同じような光景をネバフで見たことがある。マヤのシャーマンに関係する場所に違いない。中には祈りを捧げている人がおり写真を撮るのがはばかられた。

建物の外では子供達が凧上げをし、コマを回して遊んでいた。まるで日本の正月の光景だ。しばらく一緒に遊んだ。凧上げをするのは何十年ぶりだろうか。

こちらも結構楽しんだ後、じゃもう帰るよというと、一番大きな子が小さい子に、お金をくれと言って来いとそそのかしている。小さな子が金をねだってまとわりついてきた。
せっかく楽しい気持ちで帰ろうとしていたのに急に興ざめし、嫌ーな気分になった。
こんなことで嫌な気分になるのだから、まだまだ人間ができてない。
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